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いわて花巻空港の展示物 [├雑談]

「関東、東北のまだ行ったことのない飛行場、滑空場を見て回ろう(脳内)ツアー」に独りで参加しているオイラなわけなのですが、

秋田県の四ツ小屋滑空場から、宮城県の瀬峰飛行場に向かう途中、実はちょっと寄り道したところがあります。

それは・・・

 

 

やっぱり空港でした。

いわて花巻空港です。

ここは以前来た場所なのですが、なぜまた来たかといいますとですね、

気になっていることがありました。

1つは、新ターミナルビルができる前の状態を見ておきたいということ。

これは次回の記事で書きます。

もう1つは、展示物。

 

いわて花巻空港の展望デッキには、展示物があります。

本物のエンジン、タイヤ、プロペラ、ブレードなどが並んでいます。 

その展示物の中でも特にオイラ的に目玉なのが、プロペラ。

以前の記事で書きましたが、数奇な運命を辿って現代に残ったゼロ戦のプロペラが展示されています。

いわく付きのこのプロペラ、「本物」というだけでもすごいのに、展示の仕方は素っ気無くて、控え目そのもの。

壁に沿ってポンと置かれていて、簡単な説明書きがあるだけ。

如何にも「不器用で口下手な東北人気質」という感じです。

 

すっかり前フリが長くなってしまいました。

残念ながらグレーに塗り潰されてしまっているのですが、このプロペラに残されている刻印を前回うっかり撮り忘れてしまいました。

という訳で、今回撮ってきました。

 

 

(オイラが探した限りでは)唯一残っていた刻印がコチラ。

数字ばかりなので、解読のとっかかりがありません。

ロット番号なのでしょうか??

しかし、雨ざらしの状態なのによく残ってるもんですね。 


コメント(17)  トラックバック(0) 
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コメント 17

赤と青

行ってみたい。
by 赤と青 (2007-11-10 07:39) 

sak

いわて花巻空港...懐かしいです。
数年前は月に1度は乗るか降りるかしていた空港...。
こんなにいいお天気に巡りあえたことなかったなぁ...。
すごくきれい。
by sak (2007-11-10 08:03) 

an-kazu

良い天気だったようですね。
 空港のジェット燃料の臭いと雰囲気が伝わってきそうです。
by an-kazu (2007-11-10 08:48) 

tooshiba

「グレーに塗りつぶされて」ということは元の色はなんでしょうか。
機体は深緑とかのイメージがありますが。
by tooshiba (2007-11-10 09:50) 

CARRERA

飛行場から見る山並みがキレイです!
プロペラの写真も見たいぞ。。
by CARRERA (2007-11-10 11:48) 

masa

最初の写真すごくきれいですね!
空の青さが素晴らしいです。
もう少し飛行機の写真が見たかったです。
by masa (2007-11-10 12:03) 

マリオ・デ・ニ−ロ

新タ-ミナルが出来るんですか?貴重なプロペラの劣化しないような展示をして欲しいですね。
by マリオ・デ・ニ−ロ (2007-11-10 21:37) 

haruchaso_2007

こんばんは☆

空の青が気持ちいいですねーーヽ(´▽`)/
とっても素敵な写真ですね(●^o^●)
by haruchaso_2007 (2007-11-10 22:04) 

ジョルノ飛曹長

おおー 零戦のハミルトン式プロペラじゃないですかー(^o^)
プロペラって官給品なんで当時ものすごく高かったんですよね。
プロペラ代=エンジン代=本体代なんだそうです。
ボッタクリですよねー(^_^;;
by ジョルノ飛曹長 (2007-11-11 00:02) 

ひろ茶

遅ればせながら、以前の記事も読ませていただきました~。
研究室に埋もれていたとはいえ、処分されずに残っていたのは
偶然か、それとも教授の愛着か…
不器用な東北人気質…
「見だいなら見でげ~」ってカンジでしょうか(笑
by ひろ茶 (2007-11-11 00:42) 

ぐふふ…
自分で企画したツアーなのに 「参加」 ですか? しかも 「独りで」 … 嗚呼、哀愁を感じる… ( ̄ー ̄)ニヤリ
オイラもいつも 「独り旅」 です… 哀愁を感じてください (ToT)
リンク先の記事も読んできましたよー。
現在と違って、かなり堅い文面ですねー? 猫かぶってた?
by (2007-11-11 07:22) 

コスト

展示品の雨ざらしってよくありますねー
鉄道でも、D51の車輪とか当時のレール部分とかありますが、結構端っこにおかれてますね。
重要度が、通常の利用客>観光客>マニアって比率からなんでしょうかね^^
by コスト (2007-11-11 10:50) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■赤と青さん いらっしゃいませ~ヽ(*´ヮ`)ノ
是非機会がありましたら、見てみてください~。^^)/

■letterwritingdayさん
nice! ありがとうございます。

■sakさん
最近はご無沙汰の空港なのですね。
間もなく新ターミナルの工事が始まりますよ。

■an-kazuさん
お天気に恵まれました^^
>燃料の臭い
そうそう。臭ってきますよね。

■xml_xslさん
nice! ありがとうございます。

■tooshibaさん
ゼロ戦のプロペラの色は、いろんな種類があるので、このプロペラの元の色は分かりませんが、先端に赤や黄のラインが入っていることが多いです。写真のプロペラにも先端にラインが入っていた跡があるのですが、グレーに塗りつぶされております。^^;

■オデコさん
nice! ありがとうございます。

■miffyさん
nice! ありがとうございます。

■CARRERAさん
すみません、今回はプロペラの全体写真は撮りませんでした。
宜しければ過去記事をご覧くださいませ。
http://blog.so-net.ne.jp/1901rjtt-to-roah/2005-09-16

■masaさん
どうもありがとうございます。
すみません、今回はヒコーキは狙ってなかったので特に撮ってないんですよ。
また機会がありましたら、たくさん撮りますので^^;

■Mcubeさん いらっしゃいませ~ヽ(*´ヮ`)ノ
nice! ありがとうございます。

■hiro78さん
nice! ありがとうございます。

■ アスランマリオさん
>新タ-ミナル
できるんです。次の記事をご覧くださいませ。
>劣化しないような展示
本当にそう思います。

■haruchaso_2007さん
どうもありがとうございます。
お天気に恵まれました。

■Krauseさん
nice! ありがとうございます。

■ジョルノ飛曹長殿
>プロペラ代=エンジン代=本体代
なんだってー!!
いくらなんでもそりゃひどい・・・。

■ひろ茶さん
おお、前記事まで見ていただいてありがとうございます~
>偶然か、それとも
どうなんでしょうか?? 愛情なんでしょうか??
>「見だいなら見でげ~」
アハハ、そんな感じですかね。

■くずさん
>哀愁
ちょっと自虐入ってますね。
お互い哀愁ですね。(・∀・)人(・∀・)ナカーマ!!
>猫かぶってた?
アハハ、そうですね~。
最初は紋きり調だったんですが、だんだんくずれてきました。

■コストさん
>比率
多分そうなんでしょうね~。
まあ確かに空港にしろ鉄道にしろ、まずは利用客を大切にしないと成り立たないですからね。

■OILMANさん
nice! ありがとうございます。

■ccqさん
nice! ありがとうございます。
by とり (2007-11-11 22:34) 

カンクリ

こういう処がとりさんらしいですよね♪ (^^)v
by カンクリ (2007-11-12 23:00) 

とり

カンクリさん
ええ。もう。マニア全開です(o ̄∇ ̄o)ニヤ
by とり (2007-11-14 18:45) 

さとう

FBFのそのまたFBFによると、製造した住友金属による刻印だそうです。

住友金属工業プロペラ製造所

出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
海軍軍縮以来航空戦力に着目し、素材から完成品まで、軍用機の国内自給を望んでいた海軍の要請に応じて、住友伸銅所は1933年(昭和8)5月22日、大阪市此花区桜島の工場の一角に年産能力300本のプロペラ工場を設置、中島飛行機から譲り受けた米国ハミルトン社の製造技術をもって、航空機用プロペラの完成品生産に乗り出した。1935年9月17日には住友金属工業(株)と改称、翌1936年には年産1,800本の生産実績をあげ、1937年11月10日、伸銅所からプロペラ工場を分離して住友金属工業プロペラ製造所を発足させた。同年の日中開戦とともに海・陸軍の増産要求はますます強く、1年半に8次にも及ぶ設備拡張、4年間に23倍の7,000人にも激増した従業員によって対応できず、新工場建設が企図された。
新工場は1938年、尼崎市北難波町(現扶桑町)に33万m3の用地を取得、予定より遅れはしたが1941年4月11日、プロペラ製造所神崎支所が操業をはじめた。当初450人だった従業員は、1943年から支所が名実ともにプロペラ製造の本拠となるにつれて急増、1944年には1万2,600人に達した。しかし半ば近くは非熟練の徴用工と動員学徒であり、女子に至っては3,200人中73%が学生と女子勤労挺身隊であった。1945年はじめからは工場の緊急疎開がはじまり、生産設備が豊中・池田・三田・海南などに分散されたが、同年6月15日の空襲では米軍機による焼夷弾攻撃を受け建屋の大半を焼失、工場機能を停止した。敗戦後は賠償指定工場となり、1948年以降は駐留米軍神戸補給廠が接収、特殊車両整備工場などが設置された。講和条約後も施設提供が継続し、1957年10月になってようやく神戸補給廠の施設が神戸に転出した。一方、1953年に復活したプロペラ部は、1956年航空機器事業部となり、1961年1月5日には資本金5億円の住友精密工業(株)として新発足した。尼崎に本社を置く数少ない上場会社の一つであり、1970年大証・東証2部の上場、翌1971年1部に指定替えになった。
執筆者: 名和靖恭
参考文献
『住友金属工業六十年小史』 1957
『住友精密工業社史』 1981
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/apedia/index.php?key=住友金属工業プロペラ製造所
by さとう (2019-05-06 14:36) 

とり

■さとうさん
貴重なコメントありがとうございます。
by とり (2019-05-27 06:42) 

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