■mikiさん いらっしゃいませ^^ ご訪問ありがとうございましたm(_ _)m
by
とり
(2010-04-19 19:55)
私はこの地区に住んでおります30代の男性ですが、私が小学生のころは、まだ掩体壕が写真の左側のお倉が浜のそばにいくつかあったように記憶しております。年配者からこの辺りは昔飛行場と聞いていましたが、具体的な場所まではしらなかったので、参考になりました。
by
take
(2010-05-21 22:03)
富島中学校出身のわたしはよくこのあたりを知っています。小倉が浜の浜辺沿いにかなり長く、小高い松林の土手がつづいており、その下に等間隔で、飛行機の格納壕があつたのを覚えています。このブログに行きついたのは、先日、劇作家の梶原一騎さんの生涯を読む機会がありまして、彼が戦時中に亀崎村に疎開していた時期があり(わたしの実家の母がその一家をよく知っていました)、この飛行場の特攻隊員の人々にかなりの影響をうけているらしいことが分ったからです。我が郷土から、隊員たちが訓練を受け、あの真珠湾攻撃に飛び立っていった。あしたのジョー、星飛雄馬、柔道一直線、愛と誠などの熱血劇画の原点は、特攻隊員の生きざま死にざまにあったのではないかと深く考えているこのごろです。また。
by
uedakanzaemon
(2011-03-27 21:57)
■uedakanzaemonさん コメントありがとうございました。 返事が遅くなってしまって申し訳ありませんm(_ _)m
by
とり
(2011-04-02 06:51)
感慨深いですね!
by hiro78 (2010-02-13 15:37)
毎度のことながら、入念な調査に感服いたしますm(_ _)m
by an-kazu (2010-02-13 19:37)
決してポジティブな歴史遺産ではありませんからね、隠蔽したり封印してしまう気持ちも分かりますよね(是非を論じることはしません)。
2009年秋の時点での足跡をたどられたとりさんの記事は、立派な史料です。
ちょっとした味付け次第で、出版物になりそうですよね。(^^)v
by tooshiba (2010-02-13 22:09)
説明文がなければそこが滑走路の一部だったとはわからないですね。
実際に見たらもっと違いがわかるのかしら・・・
by miffy (2010-02-13 22:30)
平和を願っての記念碑
感慨深いです
by ハイマン (2010-02-13 23:29)
宮崎市内から門川へ行くのにこの辺り
何度か通りました
ここにも飛行場があったのですね
また行く機会があったらゆっくり見て回りたいです
by sak (2010-02-14 04:47)
人に聞くってのは大切なことですね。書いたものにはない情報がある。
そして趣味の力はすごい。10人以上に聞くのはそこそこしんどいでしょう。
by 春分 (2010-02-14 06:36)
かすかに残っているようですね。
爆弾お後は大分県の宇佐にもあって水がたまっています。
こうやって残ってるのは貴重ですよ。
見にいってみようかな?
by 響 (2010-02-14 09:36)
特攻とは切り離せない地域ですね。
毎回思いますが、こういった戦争遺跡は大切に保存してほしいです。
by Takashi (2010-02-14 10:25)
皆様 コメント、nice! ありがとうございます。
■hiro78さん
現地ではいろんなことを考えてしまいました。。。
■an-kazuさん
いいんですよ~。正直に「呆れた」でも。(o ̄∇ ̄o)
■tooshibaさん
>封印してしまう気持ち
地元の明らかに体験者であろう方にお聞きすると、一瞬表情が曇ることがあって、
決して興味本位で軽く聞くことではないと自戒しております。
■miffyさん
あ~、すみません、オイラの写真のせいですm(_ _)m
明らかにそこだけ違ってました。
機会がありましたら是非ご自身の目で確認してみてください。
■ハイマンさん
この願いがずっと続いて欲しいです。
■sakさん
おお、そうでしたか! 本当にアチコチ行かれてますね。
機会がありましたら是非。
■春分さん
仰る通りですね~。ご本人の言葉には感情がこもりますし、重みが違います。
■響さん
情報ありがとうございますm(_ _)m
響さんの詳細な調査力には脱帽ですよ^^
■Takashiさん
そんな地域ですよね。
いつまでも大切に保存して欲しいです。
by とり (2010-02-14 16:59)
勉強になりましたぁ
特攻隊…知覧だけじゃないんですね
キレイに整備された街も昔は…ってことですよね
by まめ助の母 (2010-02-14 22:51)
特攻基地滑走路跡に立ってるボード、痛んでますね…。
ちょっと寂しい。
こういったものも、大切にしてほしいなぁと思いました。
by pica (2010-02-14 23:50)
■まめ助の母さん
オイラも以前は知覧しか知らなかったんですが、本当にいろんな場所から飛び立っていたんですね。
仰る通り、遺跡がなければ当時の様子は想像もつかないキレイな街でした。
■picaさん
確かにそうですね。ちょっと文字が読み難かったです。
これはこれで味がありますけどね^^;
まあ全国のマイナーな戦争遺跡からしたら、こうして説明がついて保存されているだけで御の字ですよ。
by とり (2010-02-15 06:44)
本来日本の教育はもっともっと太平洋戦争について勉強、語られるべきなんですよねー。
どうしても民間に目が行きがちで、広島や長崎ばかりやりますが、兵隊も多くが国のために惨禍していったのです。
現代人は戦争反対と言う前に彼らに対しての感謝を持たないといけませんね。
by ジョルノ飛曹長 (2010-02-15 22:59)
■ジョルノ飛曹長さん
同感です。
近隣諸国に気を遣うあまり、先人たちへの気遣いが蔑ろになってる気がします。
by とり (2010-02-16 20:01)
>直径12m,深さ3m 3mって大人がすっぽり入る深さですね。
4枚目の沖縄ともう一つの「ケソソ」って何を指してるんでしょう?
地図の中に自動車学校から計算してそうとう広いですね。
九州はこんなにも特攻基地があったのですね。
by コスト (2010-02-17 21:08)
■コストさん
>ケソン
フィリピンの都市です。
わざわざここに出てくるということはいろいろ関連があるのでしょうね。
オイラは知りませんm(_ _)m
by とり (2010-02-19 07:47)
訪問させていただきました。
by miki (2010-04-18 11:16)
■mikiさん
いらっしゃいませ^^
ご訪問ありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2010-04-19 19:55)
私はこの地区に住んでおります30代の男性ですが、私が小学生のころは、まだ掩体壕が写真の左側のお倉が浜のそばにいくつかあったように記憶しております。年配者からこの辺りは昔飛行場と聞いていましたが、具体的な場所まではしらなかったので、参考になりました。
by take (2010-05-21 22:03)
■takeさん
いらっしゃいませ~ヽ(*´ヮ`)ノ
>お倉が浜のそばに
情報ありがとうございましたm(_ _)m
しらさぎ公園展示地図と、掩体壕の一部が展示されている場所の地図とでは
滑走路の情報が一致していないように思えるのですが、
掩体壕があったということは、間違いなくこの周辺に飛行場があったということになるので
仰る通り参考程度ですね。^^;
個人的にすごく気になっているのでなにか資料がみつかりましたら更新致します。
by とり (2010-05-23 07:16)
富島中学校出身のわたしはよくこのあたりを知っています。小倉が浜の浜辺沿いにかなり長く、小高い松林の土手がつづいており、その下に等間隔で、飛行機の格納壕があつたのを覚えています。このブログに行きついたのは、先日、劇作家の梶原一騎さんの生涯を読む機会がありまして、彼が戦時中に亀崎村に疎開していた時期があり(わたしの実家の母がその一家をよく知っていました)、この飛行場の特攻隊員の人々にかなりの影響をうけているらしいことが分ったからです。我が郷土から、隊員たちが訓練を受け、あの真珠湾攻撃に飛び立っていった。あしたのジョー、星飛雄馬、柔道一直線、愛と誠などの熱血劇画の原点は、特攻隊員の生きざま死にざまにあったのではないかと深く考えているこのごろです。また。
by uedakanzaemon (2011-03-27 21:57)
■uedakanzaemonさん
コメントありがとうございました。
返事が遅くなってしまって申し訳ありませんm(_ _)m
by とり (2011-04-02 06:51)