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坂戸飛行場跡地 [├空港]

 2009年3月 訪問 

無題5.png
1946年2月当時の写真(USA M44-A-5VT 12) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック)
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 


埼玉県坂戸市にあった陸軍の「坂戸飛行場」。

ここはオイラの地元にあった飛行場です。

グーグルマップでご覧の通りで、飛行場敷地の地割はほぼそのまま残っており、

現在跡地には、若葉台団地と富士見工業団地が広がっています。

敷地に斜めの緑線が走ってますが、

これは工業団地と住宅団地を隔てる幅50mの緩衝緑地帯です。

2017/3/27追記:防衛研究所収蔵資料「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.20 水路部」から作図、記事修正しました。

同資料内の飛行場情報を以下引用させて頂きます。

面積 北西-南東1,300乃至1,600米 北東-南西1,500米
地面の状況 平坦且堅硬にして植芝密生す
目標 坂戸町、東武鉄道東上線
障碍物 東端より東方約250米に低圧電線、更ニ500米を距てて
高圧電線各1條あり
離着陸特殊操縦法 (記載なし) 
格納設備 大、小格納庫6棟あり
照明設備 (記載なし)
通信設備 (記載なし)
観測設備 なし
給油設備 燃料補給可能
修理設備 なし
宿泊設備 なし
地方風 (記載なし)
地方特殊の気象 7,8月頃雷雨多く五月頃降雹あり
  12月至翌年3月間ハ降雪あり 冬季北風強吹し気流は不良なり
交通関係 坂戸駅(東武鉄道東上線)西方900米
(昭和18年4月)
(若葉駅は1979年開業のため当時はなかった)

 

地元図書館に当時の史料が何冊もありましたので、いろいろ混ぜて記事にしてみました。

昭和15年(1940年)2月 坂戸町役場に突然陸軍少佐が憲兵と副官を連れてドカドカと畳敷きに土足で上がり込んで来ました。

机の上に地図を広げるや否や、「軍に必要な施設を建設するのでこれだけの土地が必要なのです。ご協力頂きたい。北方の戦備が重要で、それに対する備えもあってまげてご同意願いたい」。と言われました。

地図を見ると230町歩即ち70万坪で、川越、坂戸、鶴ヶ島、勝呂と、一市、一町、ニヵ村にまたがっていました。

既に軍でその地域の土地所有者は全部調べ上げてあり、地主宛ての通知書も出来ており、「お忙しいとは思うが、緊急を要する軍の仕事であるから今日中に全部配ってもらいたい」と有無を言わせぬ命令。

受け取ったのは確か午後3時ごろ。その手紙の内容が、「明日午前9時に認印を持って坂戸小学校に集合せよ」ということで、細部については申しかねると言ったきりでした。

軍の機密、国家存亡の危機、国防上の重要問題と言われると我々は何も言えず、その夜は大騒ぎで配達したのでした。

翌日、少佐が軍刀をガチャつかせながら登壇し、「坂戸に軍の施設を作らねばならぬことになった。古来、国滅びて山河ありと言うが、国が滅びれば、もう我々の生命もないはずだ。その点をよくお考え下さって軍の施策にご協力いただきたい。

もちろんこの用地が皆さんの尊い財産だと言うことは、軍も十分知っておる。しかし、これを作らねば、皆さんの将来はおろか、二千六百年の輝かしい歴史を有する大日本帝国の前途さえ保障は出来んのだ。その点、十分にご理解くださって異議なく賛成を頂きたい。

もちろんタダでもらうというのじゃない。適正な価格で買い上げます。それでは、どなたもご異議はございませんね。ではご協力ありがとうございました。廊下に皆さんの承諾書が出来ておりますから、それに署名捺印の上、お帰り願いたい」。で幕。その間20~30分くらいだろうか。

少佐:「各町村で責任者はお残り頂きたい。その中で価格の協定委員を選んで頂きます。協定委員は何名でも結構ですが、常識的に鶴ヶ島は10人くらい、後は五人くらいで如何でしょう」。

それから1,2日後、価格協定委員の名簿を提出してすぐ価格協定の会議が開催されました。 

この価格協定会議の席上面白いことがありました。鶴ヶ島から選出された委員が大勢いる真ん中にあぐらをかいている人がいて、「今日は価格を決めるってんだが、軍部がどういうソロバンをはじくか、あんまり安いようなら、俺はぶっ殺されたっていい、喧嘩を売ってやる」と息巻いているんです。

その豪傑氏、そこまではよかったんですが、ちょっと言い過ぎて、「150円以下のことを言えば・・・」って単価を出しちゃった。

当時のこの辺りの山林はちょっと奥の方に入ると一反大体90円が相場です。

その少し前に高萩の飛行場用地買い上げでは100円を割ったと言いますから、そんな空気もうすうす察していたんでしょうね。
(追記:陸軍は高萩の開墾地を接収し、昭和13年12月に使用開始しています。今回の坂戸飛行場の出来事は昭和15年2月の話。)

少佐がやって来て、「それでは今日は皆さんの大変貴重な財産を国で頂戴するのだから、その単価をお決め頂くわけだ。皆さんの方にご意見、ご要望があれば、遠慮なく申し出て欲しい」と言うわけですが、誰も言おうとしない。

するともう一度意見はないかと念を押しました。このときも誰も何も言わない。

「どなたにも意見、異論がないとすれば、こちらの予定買い上げ価格を発表します」と言って黒板にスラスラと書きはじめました。

一反につき田350円、山林250円でした。

地主側の内心考えている価格の倍以上の発表に皆びっくりした。

これまたドエライ数字が出されたわけです。豪傑氏の150円などとんだ茶番になってしまったわけです。こんな調子だから異議一つ出ないで、流石の豪傑氏もただ下を向いておりました。

その後は金の支払い方法を決めた。普通なら登記だなんて騒ぐわけでしょうが、陸軍省の職権で処理しちゃうから、登記も登記簿もあったもんじゃない。全部向こうで「陸軍省」ってハンコ押して買い上げになった。

材木屋がいっぱいやって来て、山林地主との商談となったが、期限がないので、二束三文の投売りとなった。

その後の整理作業は請負業者の責任において進められたが、緊急を要する軍の仕事というので、住民も進んで作業隊を組織して応援したが、一日50銭くらいの日当が支払われた。

飛行場の整地作業は各地から入り込んだ請負業者、地元の応援出動など。

軍隊の応援は来なかったと思うが囚人が来た。鶴ヶ島に仮の刑務所を造り、朝などは我々も囚人も一緒に整列して訓示を受け作業にかかった。

作業は1年程。その後赤トンボが来ていくらか練習したようだが、まだ本格的な飛行訓練はしないうちに終戦になった。それでも他の飛行場から飛行機を持って来たりしていたので、頻繁に空襲を受けた。その頃はもう日本は航空機の大半を失って迎撃するどころではなく、退避するしか道はなかった。

そして終戦。9月3日に千葉県木更津、館山、8日には東京、14日には埼玉への進駐が行われた。

埼玉に進駐したのはアメリカ第43師団の将兵7,000人で、まず熊谷市三ヶ尻の元陸軍飛行学校に落ち着き、その後順次県内の各軍事施設に分かれて行った。そして11月末までに埼玉県内への進駐兵は13,800人を数えたという。

9月中頃、坂戸飛行場に2台のジープに分乗したアメリカの兵隊5,6人が何の前触れもなく到着。飛行場内の機材、武器弾薬の員数点検の使命だったと思われる。その将兵らは鶴ヶ島の無線送信所と川角の通信施設の所在を尋ねたというからそのままそちらに廻ったのだろう。

結局坂戸飛行場には進駐軍の駐屯はなかった。

戦争犠牲者となった人々が雑草の生い茂る旧飛行場跡に入植することとなった。

正式名称は「坂戸地区開拓地」で、農協を組織する際、「富士山がよく見えるから」ということで、「富士見開拓農協」とした。 

入植したのは地元の次男、三男、軍人などで農業未経験者も多かった。

飛行場は芝がはっていて、それを軍のタンクにプラウをつけて引っ張って土をひっくり返した。

山を削って平にし、その上に砂利を敷いて押し固めてある。そんな土地なので、ジャガイモを蒔いたが、収穫が種よりも少ないことも。

先に入植した人々は、練成講習修了者の意気盛んな人たちで、埋め立て小屋に風は吹き込む、雨は漏る、月の光の差し込むところに寝起きし、朝早くから夕方遅くなるまで汗と埃にまみれ、藷を食し、頑張っている姿にはまったく頭が下がった。

初めは薩摩芋などが多かったが、だんだん世の中が静まると作物も変わってきて、西瓜がとてもよくできた。

飛行場の名残の給水塔が今の坂戸中学校の校庭にあったが、1968年(昭和43年)に取り壊した。

おるそ坂戸飛行場全図.PNG
写真:「国土画像情報(オルソ化空中写真) 国土交通省」
撮影年度:1974年 地区名:川越北部地区 編集・加工:「空港探索・とり」

1974年撮影。住宅都市整備公団が入って9年後の様子です。

西側の一部に住宅地ができていますが、北東の工業団地区画はまだまだですね。

D20_0014.jpg

若葉駅前の高層団地から見た飛行場跡地。

田んぼや山林の広がる場所がその後芝の飛行場となり、

戦後は一面の開墾地、そして今はこの状態。 

目まぐるしい変貌を遂げた場所ですね。


       埼玉県・坂戸飛行場跡地       

ここは元々田んぼや山林の広がる場所で、こういう場所には大抵神社があるのですが、飛行場建設の際に移転しており古い寺社は全くありません。
ある整備兵だった方の回想録が残っていて、「坂戸飛行場に転属、当飛行場で九十九式高等練習機の整備作業を行った」と書かれていました。飛行場跡地に建てられた筑波大学附属坂戸高等学校には高射砲台座等が残っていて、防火用水貯水池として利用されているのだそうです。

坂戸飛行場 データ
設置管理者:陸軍
所在地:埼玉県川越市、坂戸市、鶴ヶ島市(旧川越市、入間郡坂戸町、鶴ヶ島村、勝呂村)
面積:230ha
座 標:N35°57′20″E139°24′59″
*座標はグーグルアースから算出

沿革
1940年02月 陸軍、地元から土地買い上げ交渉
          1年程の作業の後飛行場使用開始
1944年11月 この頃からB29の空襲が始まる
1945年08月 終戦 入植開始
1965年     住宅都市整備公団、飛行場跡地を「住・工セット型団地」として造成

関連サイト:
国土地理院1942年5月当時の写真(C29A C1 79) (完成から約1年後。陸軍が撮影した運用中の写真)

この記事の資料:
坂戸史 通史編Ⅱ
坂戸の歴史
坂戸風土記3,4,6,8号  
防衛研究所収蔵資料「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.20 水路部」


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コメント 27

こけもも:

「旧日本軍が土地を接収」と言うと、必ず無理やり追い立てられたみたいに喧伝されてますが、意外とそうでもなかったんですね。記録がきちんと残っていて良かったです。
by こけもも: (2009-03-21 16:49) 

masa

現在の写真は昔の面影は全くなくなっていますね。
マックが見えますが、またダブルクォーターを
食べたくなりました・・・
by masa (2009-03-21 17:33) 

野原橋

こんな何気ない風景に、すごい歴史があるんですね。
感銘を受けました。
しかし、破格の価格とはいえ、やはり軍のやり方は強権的ですな。
by 野原橋 (2009-03-21 19:38) 

春分

人の住む場所には何かしら歴史が埋もれているということかなぁ。
鉄道の跡もいろいろ面白いですが、飛行場跡も面白いものですね。
by 春分 (2009-03-21 22:12) 

セバスちゃん

なんとなく当時の区画整理の面影が感じ取れますよね。
深いです。
(僕今週は、新座、志木の付近にお邪魔してました?)
by セバスちゃん (2009-03-21 22:31) 

pica

読んで、ちょっと複雑な気分になりました。
「してもらいたい」「していただきたい」とお願いをしていても
結局は命令っぽいなぁ…と思いつつも、150円→350円と
高値がつく件は「良かったじゃん」と思う私がいたりして。
by pica (2009-03-21 23:49) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■shinさん
nice! ありがとうございます。

■xml_xslさん
nice! ありがとうございます。

■カンクリさん
nice! ありがとうございます。

■ぴーすけ君さん
nice! ありがとうございます。

■こけもも:さん
>無理やり
これはオイラも同感です。
この時期だったから。ということなのでしょうか?

■masaさん
まったくないですね~。
多分、地元の人間でもこのことを知ってるのは少数派と思います。
少なくともここで小学生だった弟たちは知りませんでした。
>マック
Σ(゚Д゚;)また食べるんデスカ!

■野原橋さん
>強権的
今の感覚で言えば、これぞまさしく「札束で頬を叩く」というヤツなんでしょうね。

■tooshibaさん
nice! ありがとうございます。

■アスランマリオさん
nice! ありがとうございます。

■春分さん
>鉄道の跡
オイラそちらにも強烈に魅かれます^^

■夢空さん
nice! ありがとうございます。

■セバスちゃんさん
この辺だけ妙に区画整理されてるんですよ。
>新座、志木
おいでませ埼玉~ヽ(*´ヮ`)ノ

■picaさん
>高値
ちゃんとお金がもらえたのですから、単に土地を奪われるよりはよっぽどマシですよね。
「土地を売りたいなぁ」と考えていた方にとっては瓢箪から駒だったでしょうね。
事実上選択の余地はなかったわけですが・・・。
by とり (2009-03-22 08:15) 

an-kazu

旧帝国陸軍将校のイメージが少し変わりました(^^ゞ
by an-kazu (2009-03-22 10:14) 

ハイマン

この辺りは日々何かが出来て変っていますよね。
ちょっと行かないとすぐ新しい店だらけになります
by ハイマン (2009-03-22 16:10) 

OILMAN

こんにちは。
最後の写真を見て飛行場にされたことに納得しました。
埼玉は平地続きで離着陸に適しているんですね。
でも、狙われやすそうですが・・・
by OILMAN (2009-03-22 19:50) 

hiro78

さすがとりさんの記事ですね!
のめり込んじゃいます(笑

by hiro78 (2009-03-22 21:10) 

まめ助の母

へえ〜、坂戸にも?ってかんじです
若葉の線路の向こう側はあまり行ったことがありません。
パパさんは年に1度栄養大に行ったりしてますけど

わたしが通った記憶としては
この道が最短と思う!と勝手に思いこみ立ち入って迷う!
とかそんな感じで彷徨っていたような気がするのです(>_<)ゞ
by まめ助の母 (2009-03-22 22:47) 

sak

いろんな歴史があるのですね
知らずに歩いている場所でも
そこにはいろんな歴史があるのですよね。

by sak (2009-03-22 23:16) 

とり

■an-kazuさん
オイラも変わりました^^

■takemoviesさん
nice! ありがとうございます。

■ハイマンさん
確かにそうですね~。
随分変わりました。

■OILMANさん こんにちは。
>適している
偉そうな先生が某文献で同じことを書いてました^^
確かにこの辺は平坦な場所が多いですね~。

■hiro78さん
おだてても何も出ませんよ?(o ̄∇ ̄o)ニヤ

■まめ助の母さん
この辺は本当に飛行場だらけですよね。
おお、パパさんは栄養大行かれるのですか^^
>彷徨
分かります!
本当にこの辺の道は方向感覚無くしますよね。

■sakさん
そんな感じですね~。
by とり (2009-03-23 05:55) 

コスト

>図書館に当時の史料 よく見つけましたねー地元ならではですね^^

>価格の倍以上 これは救いですねー

>本格的な飛行訓練はしないうちに終戦 
ううむ、行き当たりばったりな感がありますが、
おかげで進駐軍の駐屯はなかったわけですから、
先のことはほんとわかりませんねー
by コスト (2009-03-23 18:27) 

褄陽司

初めまして。ずいぶん前からここのブログを楽しく読ませていただいております。

ちょうど10年前まで坂戸に住んでおりました。
写真奥に写ってあるヤオコー兼オリンピック。いつの間にか解体されてしまったんですねえ(涙

こんな親しみのある土地にも深いストーリーがあったんですね。とても興味深い記事でした。
by 褄陽司 (2009-03-23 18:36) 

とり

■コストさん
>図書館
きっと飛行場のあった地元の図書館には、ネットに出てこない情報がわんさか眠ってるんでしょうね~。
>行き当たりばったり
実際のところは分かりませんが、せっかく作ったのにほとんど使わないという例が本当に多いんですよね。

■褄陽司さん いらっしゃいませ~ヽ(*´ヮ`)ノ
以前からお越しいただいていたとのことでありがとうございます。
褄陽司さん坂戸市民でしたか^^
でしたら今回調べたこぼれ話を1つ。
坂戸飛行場が終戦で開拓地となり、入植が始まったのですが、そこに学校が建設されることになりしまた。
入植者の1人の方が、「ここに文房具屋を作れば儲かるに違いない」と考えたのですが、
入植者は副業禁止だったため、親類名義で文房具屋を建てました。この目論見は大当たり。
これが現在の坂戸市役所のすぐ近くにある、「あ」で始まるあの大きな文房具/本屋さんなのだそうですよ^^
近々地元ネタをもう1つアップしますので宜しければご覧くださいませ。
>オリンピック
Σ(゚Д゚;)今知りました
画面右手前に若葉ウォークができてからすっかり足が遠のいてました(滝汗
なくなったと知ると寂しいなぁ・・・(´;ω;`)ブワッ

■U3さん
nice! ありがとうございます。
by とり (2009-03-24 05:51) 

とり

■フェイリンさん
nice! ありがとうございます。

■きよひこさん
nice! ありがとうございます。

■kenjiiさん
nice! ありがとうございます。
by とり (2009-03-25 07:16) 

とり

■赤と青さん
nice! ありがとうございます。
by とり (2009-03-26 07:16) 

koume

この手の話は、うちの夫婦そろって大好きなのですw
こんな資料も、探すと残ってるのですね。
by koume (2009-03-26 22:15) 

とり

■koumeさん
そろってお好きですか^^
北海道、九州は資料探すとライフワークになりそうな位いろいろありますよね。
オイラにとっては宝の宝庫です。
by とり (2009-03-27 06:59) 

Qoo

意見も異論も言えない時代だったのですよね

by Qoo (2009-03-27 12:59) 

とり

■Qooさん
今とのあまりの違いにびっくりします。
こんな時代が確かにあったからこそ、いろいろ引きずったり、逆に強い反動が出たりしているんでしょうか。
by とり (2009-03-28 09:10) 

あゆちん♪

飛行場南側の今の圏央道側のところが低くなっていて気流が悪く南側からの着陸がたいへんだったとか、陸軍の97式戦闘機が何機かあって、若葉駅南側の踏切(今地下道ね)を越えた高徳神社(2km先)の鎮守の森まで押して行って隠したとか、終戦の年に海軍の99式爆撃機が不時着してきて死人が出たとかそんなのを読んだ事が有ります その本は確か図書館では無く鶴ヶ島の教育委員会の戸棚に有りましたね^^
by あゆちん♪ (2011-05-23 21:32) 

とり

■あゆちん♪さん
レスが遅れてしまい、失礼しました。
貴重な情報をありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2011-06-13 17:24) 

アギラ

ここがそうでしたか、駅の反対側にあるブラジルレストランへ
1度行ったことがありその帰りに100均で何かを買いました。
こんな広いところ、元は何だったのだろうとその時は思いましたが
まさか飛行場だったとは、驚きました。


by アギラ (2014-06-13 10:01) 

とり

■アギラさん
ここから数キロの所に住んでおります。
オイラの地元にもいらしていたのですね^^
駅の反対側のブラジルレストランですか。ドコだろう??
駅のこちら側で下り方向に数キロ行った場所にPAT坂戸という複合店舗があり、
そこでブラジル人スタッフのシュラスコ等の食べ放題の店があったのですが、
ちょっと前に更地になり、現在ベルク建設中です。
田舎なのですが、この辺も少しずつ変わっております。
by とり (2014-06-18 19:19) 

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