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東武熊谷線物語・1 [├場所]

東武鉄道の社史の中で、「熊谷線の建設と東上線の線路移設」という見出しがあり、

この部分に9P割いています。

「東上線の線路移設」とは、前記事で書いた松山飛行場関連のことです。

「軍の要請で敷設した線路」ということで同じくくりなのでしょうね。

時期的には、熊谷線を開通させた約1年後に東上線の線路移設工事に取り掛かっています。 

 

熊谷線は、当時東洋一の規模を誇った中島飛行機の巨大航空機工場への

物資、人員輸送用として軍からの要請で建設することになりました。

当初、熊谷線の建設許可証には、

「1943年(昭和18年)5月までに着工、1945年(昭和20年)5月までに竣工すべし」

と付記されていました。

ところが1943年(昭和18年)7月になって軍から、

「1943年(昭和18年)12月に繰り上げて竣工させるように」と命じられます。

凄まじい短縮要請ですね。

軍からの要請で建設するにもかかわらず、資材も自前で調達しなければならず、

資材不足と軍からの超工期短縮要請に応えるための苦肉の策として、

前記事でも書きましたが、複線で営業している東武日光線を単線化して、

レール、付属品、鋼板桁を充当するという荒業を繰り出しています。

「どの部分を単線とするか」は東武社内でも悩んだようで、

最も影響の少なそうな区間を選んだのですが、

それでも自治体の許可を取り付けるのに50日を要しました。

 

熊谷中.PNG

1943年(昭和18年)12月5日 熊谷~妻沼間営業開始

上図の熊谷から北上している黒い線が熊谷線です。

ペイントソフトでフリーハンドで描いたのと、

詳しい路線図を見つけられなかったのとで、あちこち怪しいです。

どうかご了承くださいませ。m(_ _)m

 

無事工期を守って開通させることができたわけですが、

これで工事が完了したわけではありませんでした。

上の図にある通り、熊谷から妻沼まで線路を引きましたが、

中島飛行機の工場は小泉にあって、その前には利根川が立ちふさがっていたのです。

それで熊谷線を利用する中島社員たちは、終点妻沼で東武バスに乗り継いでいました。

そのため続けて工事が計画されることになります。

第2期工事は西小泉~仙石河岸間の貨物線中、

大川村地内で分岐し、妻沼駅に至る3.4kmでした。

早い話、川を渡って上の方の線路とくっつけるということです。

 

認可証には、1944年(昭和19年)4月までに着手、

1945年(昭和20年)9月までに竣工のこと、と付記されていました。

利根川を越えるために長い鉄橋を架ける必要がありましたが、

これまた資材不足のため橋桁の鉄鋼資材収集に困難を極めました。

川心部の長大径間の桁は、国鉄東北本線岩沼駅(宮城県)に貯積中の

「あぶくま橋梁」架け替えで発生した径間64.05mのトラス桁4連、

そして大阪の城東線淀川橋梁から発生した径間48.42mのトラス桁2連を

国鉄からの払い下げで入手することにしました。

他に、日光線小倉川橋梁からの発生品である鋼鉄桁17連、

同じく黒川橋梁からの鋼鉄桁6連を利用することにしました。

橋の設計図面を見ると、あちこちから寄せ集めた橋桁を使うため、

素人目にも形がイビツです。

 

総径間877.72mに及ぶ長大な橋梁工事としては異例の組み合わせであり、

当時如何に資材が不足していたかが分かります。

ところが資材不足に悩まされながらもなんとか調達の目処が立ち、

1945年(昭和20年)9月までの完成を目指して工事が進められたにもかかわらず、

完成予定の1ヶ月前、工事中に終戦を迎えてしまうのでした。

次の記事で、終戦後の熊谷線のことを書きます。

 

この記事の資料:
東武鉄道百年史
東武鉄道 会社の沿革
Wiki:東武熊谷線


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コメント 10

sak

軍の要請って絶対だったのですね。
なくなってしまったものもあるけれど
戦争のおかげでできた便利な路線とかもあって
なんだか複雑...
by sak (2008-11-15 13:50) 

tooshiba

熊谷線の路線図はだいたいそんな感じです。ъ(゚Д゚)グッジョブ!!
利根川の橋梁の桁の残骸は比較的最近まで残っていたのですが、現在はすでに撤去されてしまっていて、見られません。

軍部の意向というなら、八高線を全線複線電化にしておいてくれれば良かったのにと小一時間(ry
(*゚∀゚)つ=l終戦直後の大事故

東武の未成線でメジャーなのは、大師線と東上線をつなぐものですね。
上板橋だか大山だかまで延長する予定が、大師前で止まったきり現在に至ります。
by tooshiba (2008-11-15 18:21) 

まめ助の母

すっごい勉強になりますね〜
戦争の終わりの方は日本は鉄不足だったわけでしょ?
かのハチ公像もお国のために部品になっちゃったぐらいですから…

また、工期もすごいですね〜予定とかじゃなくても
「やれ!」感がひしひし読み取れますね
日本は苦い経験を積んでいい国になっているのでしょうか?
by まめ助の母 (2008-11-16 09:32) 

ハイマン

今度は熊谷線ですね^^
軍の影響ってやっぱり大きかったんですね
by ハイマン (2008-11-16 15:13) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■takemoviesさん
nice! ありがとうございます。

■xml_xslさん
nice! ありがとうございます。

■sakさん
>便利な路線
ん~。確かにそういう面もありますね~。

■カンクリさん
nice! ありがとうございます。

■ぴーすけ君さん
nice! ありがとうございます。

■赤と青さん
nice! ありがとうございます。

■tooshibaさん
tooshibaさんのお墨付きもらってれば安心ですね^^
>桁の残骸
そうなんですか。見たかったな~。
>大師線
惜しいことをしました^^;

■masaさん
nice! ありがとうございます。

■miffyさん
nice! ありがとうございます。

■くらいふさん
nice! ありがとうございます。

■hiro78さん
nice! ありがとうございます。

■まめ助の母さん
>工期
まめ助の母さんにとっては仕事柄、身につまされる話なのではないでしょうか。
>苦い経験を積んで
あの当時の方が今の日本を見たら、一体何と仰るのでしょうね。

■夢空さん
nice! ありがとうございます。

■ハイマンさん
> 大きかった
年配の方が軍国主義の風潮を心配する理由が少しだけ理解できたような気がします。
by とり (2008-11-16 16:11) 

an-kazu

またまた、続きが楽しみですp(^-^)q
by an-kazu (2008-11-16 17:24) 

OILMAN

こんにちは。
民間の会社が、国の命令でこうやって鉄道をつくったという歴史があったんですね。
実際に残っていれば町の風景は変わっていたでしょうね。
by OILMAN (2008-11-16 21:11) 

とり

■an-kazuさん
ありがとうございます。m(_ _)m
続きアップしましたので、よろしければどぞ~^^

■OILMANさん こんにちは。
こんなことあったんですね~。
いつかじっくり見て回りたいと思ってます。

ん~。やっぱりマニアックすぎる記事だったな。^^;
by とり (2008-11-17 07:21) 

とり

■アスランマリオさん
nice! ありがとうございます。

■picaさん
nice! ありがとうございます。
by とり (2008-11-18 06:16) 

とり

Qooさん
nice! ありがとうございます。
by とり (2008-11-21 07:57) 

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