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郡山(金屋、大槻)飛行場跡地 [├空港]

 2009年9月 訪問

無題0.png1947年11月当時の写真(USA R357 36) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 


2016/9/28追記:防衛庁収蔵資料「第1~3郡山海軍航空隊図面」に第三郡山航空基地の図面、地図があり、

そこから作図しました。

図面によれば、第三郡山航空基地は、1,500mx200mの着陸帯の中に幅70mの滑走路として示されており、

さらに東側に延長して2,000mx200mの着陸帯、その中に幅70mの滑走路。として描かれていました。

着陸帯の地図は手書きのもので、1947年の航空写真、グーグルマップの現在の地図と照らして「多分こんな感じかなあ」

という程度にしか分かりませんでした。

よくよく着陸帯のあった周辺の航空写真を眺めると、滑走路方向にうっすらと着陸帯っぽい地割がかろうじて確認でき、

その通りに線を引いたのが上図です。

着陸帯の両端の位置がほとんど読み取れず、一応長さは1,500mにしてあります。

また幅は約110mで、資料にある数字とは食い違っています。

おおよそこんな感じという程度のものですのでご了承くださいませ。

同じく防衛研究所収蔵の「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)では第三郡山航空基地について、

「2,000x200未完 掩体 工事中 其ノ他記事 未使用」とありました。

 

福島県郡山市にあった「郡山飛行場」。

昭和17年 郡山駅の南、阿武隈川沿いに郡山海軍航空隊が設置されました。

現在の国道49号線を境に南側が第一航空隊(整備教育)の兵舎が林立し、

北側に第二航空隊(練習訓練)の広大な飛行場がありました。

そして郡山駅の西側に第三航空隊がありました。

第三航空隊は現在陸自郡山駐屯地になっています。


第一航空隊跡地には現在、日大がありますが、

昭和31年の暮,鉄筋コンクリートの建物(現2号館)が完成し,翌32年から使用開始するまでは、

航空隊が使っていた木造の兵舎を使用していたのだそうです。

 

D20_0020.jpg

第二航空隊跡地:現在は工業団地になっています。

 

郡山市は積極的に飛行場誘致活動をしており、

1939年(昭和14年) には逓信省が市の案内で大島、庚担原(大槻)、川田(豊田)、早稲原(喜久田)、境伝左衛門(喜久田)、金谷(高瀬)などを視察しました。

また、これとは別に海軍省は海軍航空隊を福島県内に建設するため調査していたのですが、

1941年(昭和16年)7月、福島市よりも郡山市周辺が適地であるとの結論を出していました。

そして1942年(昭和17年)2月、次の通り設置地域を決定しました。

郡山第一海軍航空隊 田村郡守山町徳定
郡山第二海軍航空隊 田村郡高瀬村金屋
郡山第三海軍航空隊 安積郡大槻町北部

一旦決定された後は突貫工事で建設が進められ、

1日20台の自動車、近郊農村の馬車、牛車が徴用され、海軍施設協力会が創設されました。


 

軍隊が駐留する都市を広義で「軍都」、「軍郷」と呼びますが、

1944年(昭和19年)1月、内務省は「軍都整備事業計画」を表明しました。

これは、国が正式に指定した「軍都」に支援を行う。というものです。

当時の郡山市長はこの軍都加入を強く希望し、

運動の結果茨城県土浦市、青森県大湊市を抜いて、

国から正式に「軍都」として指定された11の都市の1つとなりました。

これにより、

安積橋・上亀田線新設(現:西の内線)(3.5万円、長さ:400m)

金山橋・開成山線新設(現:国道49号)(29万円、長さ3,350m)

が完成しました。郡山市の負担は5万円でした。

こうして郡山は軍都としての道を突き進むことになり、

飛行場には付属の海軍施設部、格納庫、中島飛行機整備工場など数十棟が並び、

軍都整備、軍需工場、軍部隊、貯金局などの誘致で郡山は活気のある街に発展しました。

 

そして当然のことながら、この「軍都郡山」を米軍が見過ごすはずもなく、

戦争末期には「郡山空襲」として知られる大空襲により、多くの犠牲を出したのでした。


     福島県・郡山飛行場跡地    

郡山市史5近代(下)477pに「郡山地方でも金屋海軍飛行場や、大槻海軍飛行場の建設によってつぶされた耕地も多い」と記されていました。また「日東紡績第三工場も、十九年に中島飛行機に接収された工場の一つである。中島飛行機は接収と同時に飛行機部品の製造を開始した。しかし翌二十年の終戦によって日東紡績に返還されたが、二十一年にパラマウント硝子工業株式会社として再出発するのである。また、松葉製糸も同じように飛行機製造会社の接収に遭い松葉飛行機と改名し、その製造を開始するのである。しかし製造の開始が二十年四月であり実際には準備のみで終戦を迎えている」と記されていました

郡山飛行場 データ
設置管理者:旧海軍
空港種別:陸上飛行場
所在地:福島県郡山市大河原、田村町、大槻町
座 標:第一 N37°21′33″E140°23′00″
     第二 N37°22′29″E140°23′54″
     第三 N37°23′47″E140°19′41″
滑走路:
郡山第一:1,500mx1,350m
郡山第三:(1,500mx60m)x2 「日本海軍航空史」より
「海軍航空基地現状表(内地の部)」によれば、郡山第一と郡山第二は滑走路共用
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1942年 02月飛行場建設決定
1945年 04月12日 郡山大空襲
      07月29日 市内にパンプキン爆弾(模擬原爆)投下される
      08月9,10(8,9?)日 飛行場空襲

関連サイト:
(郡山駅と飛行場周辺:既に飛行場の形跡はなくなっているようです)

この記事の資料:
郡山市史
郡山の歴史


コメント(14)  トラックバック(0) 

コメント 14

OILMAN

こんにちは。
郡山にはなぜか2回行ったことがあります。
初めて「金太郎」を見て感動したということでとても印象に残っています。
「金太郎」、鉄なアチラの住人ならすぐにわかる電気機関車EH500の愛称ですけど、何か?
by OILMAN (2009-11-25 21:25) 

ハイマン

郡山が軍都だったなんて知りませんでしたよ!
また一つ勉強になりました^^
by ハイマン (2009-11-25 21:56) 

koume

郡山って、軍都だったんですね…。
市として誘致して、そのせいで市民に多大な犠牲って…。
戦時中とはいえ、ひどい話だなーと思います。。。
by koume (2009-11-25 22:46) 

miffy

軍を誘致すると町が栄えるって昔も今も同じなんですね。
by miffy (2009-11-25 23:13) 

me-co

@@;実は、郡山(+須賀川)には、かつて4年間生息していました!
で、この工業団地は何度も足を運んだ場所!そういう場所だったとは知らなんだ( ̄_ ̄ i)・・・
by me-co (2009-11-26 00:09) 

tooshiba

最初から負けると思って戦争に臨んだ国民は多くなかったでしょう。
少なくとも途中までは。
多くの犠牲者がいたことは、決して忘れてはならない事実だと思います。
(日本国内の集計で死者の水増しとか、外国ではよくある捏造されたデータを使う意味はありませんからね。)
by tooshiba (2009-11-26 00:54) 

masa

郡山空襲、昔は恐ろしい世の中だったんですね・・・
by masa (2009-11-26 19:56) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■OILMANさん こんにちは。
>何か?
はあ、すいません。全然知りませんでした・・・^^;

■ハイマンさん
オイラも勉強になりました~^^

■koumeさん
市長とて、こういう結末とは夢にも思わなかったでしょうね~。

■miffyさん
そうですね~。
今でもやっぱりイザとなったら真っ先に狙われるんですかね・・・( ̄人 ̄)

■me-coさん
そうだったんですか!福島県とは随分縁があるんですね~。
実はオイラ、りかちゃんキャッスルの小野町に住む計画だったこともあるんですよ^^
郡山の工業団地、特になんの碑もモニュメントも見つけられませんでした。
立派な図書館でも、郡山空襲のことは出ていても、飛行場のことはほとんど見つけられませんでした。
市内でもご存じない方、多いでしょうね~。

■tooshibaさん
>忘れてはならない
まったく同感です。
実は昔の飛行場のことを調べ始めるようになって、戦時中の飛行場を作ったが最後、まず間違いなくその地元は酷い目に遭う。
ということを知り、市史を調べていると、献身的に飛行場建設に協力する地元民の様子など読んでいて苦しくなってきます。

■masaさん
本当にそうですね~。
二度と起きて欲しくないです。
by とり (2009-11-27 06:53) 

sak

郡山にそんな歴史があったのですね
空港のあった場所って
第二次世界大戦の時の攻撃目標になってしまっていたのですね
by sak (2009-11-28 22:18) 

とり

■sakさん
オイラも郡山に飛行場があったとはまったく知りませんでした。
>攻撃目標
そうなんですよね~。
by とり (2009-11-29 06:46) 

コスト

>農村の馬車、牛車が徴用
う~ん、時代を感じます^^;

>軍都 初めて知った単語です
この言葉にはこういう歴史があったんですね。
軍都になんで立候補をと思ったんですが、道路や橋が整備されたりと
一応メリットはあったんですね。
しかし、現在の原発誘致となんだか似てますね
税金や迷惑施設分の投資があるかわりに、放射能漏れのリスクもあるのと。
by コスト (2009-12-14 22:29) 

とり

■コストさん
>原発誘致
確かにそうですね~
今でこそ全国的にある程度インフラは整ってますが、
当時の状況で「お国が町を開発してくれる」というのは大きな魅力だったんでしょうね。
by とり (2009-12-15 19:10) 

軍関連施設の探求者

こんにちは、郡山海軍航空隊でしたら第二郡山海軍航空隊基地の一部だった日本大学工学部の資料館に航空隊の展示物(模擬爆弾、錨マークが入った消火栓、海軍用地の土地境界線杭、学校開業時使われていた兵舎の位置が書かれている地図と模型)などが有ります。

他には郡山中央図書館隣にある歴史資料館に航空隊基地の記述と写真がありますが、それだけしか展示物が無い状況です。

現存している遺構で確実な物は金山橋近くにある対空砲の模型の台座として使われていたと言われるコンクリートの構造物(燃料捨て場と言う人も居る)があり、日本大学工学部内にも当時の物である可能性が高い物が幾つか有りましたが、確認不能の為未確認です。

郡山駐屯地にはグラウンドに小型機用の滑走路が現存し、火事で焼けてしまったようですが最近まで格納庫も現存していたようです。
by 軍関連施設の探求者 (2013-12-27 20:36) 

とり

■軍関連施設の探求者さん
返事が遅れてしまい申し訳ありません。
情報ありがとうございました。
by とり (2014-02-19 19:12) 

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