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宇佐飛行場(宇佐海軍航空隊)跡地 [├空港]

 2009年10月、2016年5月 訪問 

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1947年4月当時の写真(USA M271 16) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)  

大分県宇佐市の日豊本線と宇佐市役所にはさまれたエリアにはかつて宇佐飛行場がありました。

周辺には掩体壕など様々な遺跡が残っています。

 

城井1号掩体壕
(以下、写真は2009年のものと2016年のものが混在しています。ご了承くださいませ。城井1号以外の掩体壕はすべて所有者、近隣の方から許可を得て撮影させて頂きました。快く許可下さった地元の皆様に心より感謝申し上げます。どうもありがとうございましたm(_ _)m )

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宇佐市指定史跡として整備されている「城井1号掩体壕 」。

周辺に案内標識もあり、探しやすいです。

ご覧の通り、駐車場、トイレ完備。奥に1号とは別の掩体壕も見えます。

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国東半島杵築沖で地引網にかかり引き上げられた零戦のエンジンとプロペラが展示されています。

この掩体壕は元々零戦用のものだったそうです。

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ぼろぼろのプロペラ

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天井アップ。かなり凸凹していて、足跡らしきものがいくつもありました。

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掩体壕の床面には、格納状態を示す零戦原寸大の線が引かれてました。

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全国から参集した154人の若者がここから沖縄の空に散っていきました。

154名の特攻隊員の氏名、出身地が刻まれています。

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特攻隊が飛び立っていくのを手を振って見送った人々をイメージして造られたモニュメントなのだそうです。

 

城井掩体壕群・2
(以下、「城井掩体壕群、畑田掩体壕群等、表記は、「宇佐市平和資料館」の資料に記載されているものを使用させていただきました。ただし末尾のアラビア数字はオイラが便宜上付けたものです。ご了承くださいませ)

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1号掩体のすぐ近くにあります。

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農機具置き場になってますね。

 

城井掩体壕群・3

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工場に隣接しており、パイプ?が掩体壕の中に入っていくという、独特の外観です。

 

城井掩体壕群・4

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1号掩体からそれほど離れておらず、周辺は車一台がやっと通れる道なので、徒歩がよいかもしれません。

1号掩体から南東方向を眺めると、ポコッと掩体の背中が見えます。

掩体入り口部分にひさしが設けられていて、カーポートになっています。

 

中型掩体壕

県道629号線 教覚寺入口の押しボタン式信号の交差点から北に200mちょっと行くと右手にあります。

周辺は田んぼが広がっていて見通しが非常に良く、見ないように努力しても絶対視界に入ってきます。

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開口部隣に民家があります。

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これでも「中型有蓋掩体壕」。デカイです。

宇佐に現存する10基の掩体壕の中では最も大きいです。

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畑田掩体壕群・1

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農機具置き場になっていますね。

 

畑田掩体壕群・2

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こちらも農機具置き場。

 

畑田掩体壕群・3

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畑田掩体壕群・4(未撮影)

この掩体壕は私有地内にあるのですが、オイラがお邪魔した時はお留守だったため、撮影していません。

(本当は位置確認のため遠くから撮ったけど)

 

畑田掩体壕群・5

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ということで、「城井掩体壕群」4基、「畑田掩体壕群」5基(1基は未撮影)、そして森山の「中型掩体壕」1基、

これが城井1号掩体壕の説明版にある「10基の掩体壕」と思います。

また、「宇佐市平和資料館」の資料によれば、森山の「中型掩体壕」の西北西約340mのところに、

「無蓋掩体壕跡」があります。

こちらは自宅に戻ってから気が付いたたため現地で確認していないのですが、

「多分コレ」と思う場所を上のグーグルマップにプロットしてあります。

 

平和への願い碑

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城井1号掩体から東約270mの所にある「平和への願い」碑。

碑の側面に「宇佐海軍航空隊滑走路跡」と記されていますね。

ここから真っ直ぐ北に伸びる「フラワーロード南北2号線」 が滑走路跡で、

特攻隊がここから飛び立ち、それを見送った場所には、

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こうしたモニュメントが580mに渡り、道路に沿って並んでいます。

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爆弾池 

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県道629号線沿いに標識があります。

標識に従い左右に広大な田んぼが広がる道を進みます。

県道から二つ目の高圧線鉄塔の手前の道を右折して少し進むと・・・

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こんな場所に出ます。奥に白い棒が見えますね。

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直径20m、深さ3mの池。

杭の片面にこんな説明が。
「この大きな穴は、米軍機から落とされた爆弾によりできたものです。水がたまることから爆弾池と呼ばれています。基地跡には、このような穴がたくさんあり、終戦後に元の水田に返されました。しかしこの穴だけは、「悲惨な戦争の想いを後世に語継ぐ」という所有者の強い思いから、その後の場整備事業でも埋められることなく残されています。」

方形の水田の角に丸い穴があるので、機械化農業には大変な支障だと思います。

毎年毎年手間を惜しまずに池を残し続けておられる農家の方には頭が下がります。

2016/7/23追記:当「爆弾池」には2009年にお邪魔したのみで、2016年には行っていないのですが、グーグルマップ(画像取得日:2015年12月)で確認すると、現在ここは史跡見学場として整備されているようです。

 

落下傘整備所

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県道629号線 爆弾池の標識からさらに東に進むと、こんな標識があります。

ところがここから先の案内がないんですよ。

結局二つしか見つけられず・・・。

見取り図を作ったのですが、自宅で地図とつき合わせてみたらうまく照合できませんでした。

混乱の元なので地図の掲載はやめておきます。

 

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多分これが「通信室」ではないかと。

 

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案内板で「レンガ建物」として示されている「落下傘整備所」。

住宅密集地にあり、壁には生々しい機銃掃射の跡が残っています。

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機銃掃射跡の残る壁

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柳ヶ浦小学校の低いコンクリート製の壁に幾つも弾痕が残っています。

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正門の標柱

弾痕跡からほんの40m先にあります。

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宇佐海軍航空隊の隊門。

浄化槽の埋設工事の際、当時隊門があった付近で掘り当てられたのだそうです。

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小学校では子供たちの元気な声が響いてました。

防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 呉鎮守府航空基地現状表」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:宇佐 建設ノ年:1940 飛行場 長x幅 米:1300x1300芝張ノ内1800x80コンクリート 主要機隊数:小型5.5 主任務:教育作戦 隧道竝ニ地下施設:居住(3000平米)指揮所、電信所、燃料庫、爆弾庫、工業場、倉庫、魚雷調整場 魚雷格納庫 掩体:中型有蓋1 中型無蓋41 小型有蓋5 小型隠蔽30 其ノ他記事:桜花格納隧道10機分 同切込掩体33機分


     大分県・宇佐飛行場跡地    

宇佐飛行場 データ
設置管理者:旧海軍
空港種別:陸上飛行場
所在地:大分県宇佐市柳ヶ浦 他
座 標:N33°32′55″E131°20′34″
面 積:150ha
滑走路:(開隊時)1,150mx30m  (終戦時)1,800mx80m
方 位:18/36
(座標、方位はグーグルアースから)

沿革
1939年10月01日 艦上爆撃機、艦上攻撃機の練習航空隊として宇佐郡柳ヶ浦村(現大分県宇佐市)に開隊
1941年10月07日 真珠湾攻撃に参加する空母「翔鶴」、「瑞鶴」の艦上攻撃隊が宇佐で訓練開始
     12月08日 日米開戦
     12月28日 真珠湾攻撃に参加した飛行隊が宇佐に帰隊
1943年07月09日 一般人、学徒の勤労奉仕隊により無蓋掩体壕作り始まる
1945年01月 初旬、有蓋掩体壕づくりが始まる
     02月11日 赤江基地(現・宮崎空港)より、雷神部隊(「桜花」による特攻隊) が約30機の「一式陸攻」で移動してくる
     02月16日 練習連合航空隊司令長官より、110名の特攻訓練命令
     03月01日 宇佐航空隊が作戦部隊になる
     03月18日 艦載機による初空襲。死者14名
     04月01日 宇佐航空隊の保有機157機、隊員2,486名
     04月06日 第1八幡護皇隊艦爆隊・艦攻隊が沖縄方面へ特攻出撃。以降5月11日まで81機、154名が戦死
     04月21日 B-29による空襲、壊滅的被害。死者320名。以降、4/26 5/7,10,14 8/8にも空襲
     05月05日 宇佐航空隊解隊 西海海軍航空隊宇佐基地となる(残存機26) 
     05月07日 八面山上空にて小月基地の陸軍機がB29に体当たりして撃墜する。捕虜2名を宇佐基地に連行
     08月08日 空襲により航空隊周辺の畑田・江須賀地区などが大きな被害を受ける
     08月15日 終戦。戦後は水田、住宅地が広がる

関連サイト:
大分県/城井一号掩体壕  
Wiki/宇佐海軍航空隊  
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