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日飛(漆山)飛行場跡地 [├空港]

 2009年9月 訪問 

D20_0104.jpg

山形県山形市にあった「日飛飛行場」。

いきなり刑務所の写真からですが、ここに日飛(にっぴ)飛行場がありました。 

 

D20_0105.jpg

 

日飛AF地図.PNG

ぐーぐる地図に重ねるとこんな感じ。

日飛飛行場から南南西約8キロの所に「日飛(日本飛行機)山形工場」がありました。

現在の末広町、美畑町、鉄砲町1丁目にまたがる約15ヘクタールの敷地で、1942年3月操業。

この工場で、通称「赤とんぼ」と呼ばれた九三式中間練習機、秋水などを製造したのだそうです。

そして日飛飛行場はその名の通り、この「日飛」専用の飛行場なのでした。

アスファルトやコンクリートは使われず、土を平らにしただけだったそうです。

 

県史によりますと、同工場では赤トンボを月に40機ほど生産していたと記されており、

同工場OBの方の「ピーク時には月産80機だった」という記述も残されています。

大戦時に関して素人同然なのでまったくの受け売りなのですが、

空技廠で開発した九一式を川西航空機が改良したのが九三式で、

その後この九三式は日本の各メーカーで生産されたのですが、そのうち約半数が日飛製なのだそうです。

以下、県史より抜粋:「練習機の生産は、航空ガソリンの不足のためパイロットの訓練が制約されたにも関わらず戦争末期に至るまで続けられたが、これは米軍の本土進攻に対する特攻機として用いるためであった。練習機は比較的生産費が少なくて済み、未熟なパイロットでも十分に操縦が可能である上に、特攻兵器として十分な運動性能と航続力を持っていたからである。山形工場では特に木製飛行機生産のために多くの仏壇及び木工関係者が徴用された」

防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 舞鶴鎮守府航空基地現状表」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:漆山 建設ノ年:1945 飛行場 長x幅 米:1000x30方向S-N 主要機隊数:小型 主任務:退避 其ノ他記事:旧航空機制作会社施設

「漆山飛行場は陸軍の練習用飛行場で、毎日のように赤トンボが危なっかしい飛び方をしていた」

という記述も残っているのですが、少なくとも1945年には海軍の「漆山航空基地」になっていたようです。

 

日飛飛行場:map  

 


     山形県・日飛飛行場跡地    
終戦までに全国の県庁所在地の大部分が空襲を受けたのですが、8月14日時点で東北地方で戦災を受けていないのはは秋田と山形のみでした。その秋田も15日未明に空襲を受けたため、山形市民は「次は我々だ」と覚悟していたのですが同日終戦となり、山形市は数少ない非戦災都市となったのだそうです

 

日飛飛行場 データ
設置管理者:日本飛行機→海軍
空港種別:陸上飛行場
所在地:山形県山形市あけぼの2丁目他
座 標:N38°18′43″E140°21′34″
滑走路:1,000m×300m
磁方位:01/19
*座標、磁方位はグーグルアースにて算出

沿革
1945年08月09日 飛行場空襲を受ける

関連サイト:
国土地理院 1947年4月当時の写真(USA M201 73) (■→「同意する」→戻る→再度■をクリック)   
(画面中央上の方にうっすらと飛行場が残ってました。拡大した方が分かりやすいかも)

この記事の資料:
山形県史
山形市史


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