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岩手陸軍飛行場(後藤野飛行場)跡地 [├空港]

 2009年9月 訪問 

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岩手県北上市の「後藤野工業団地」が見えてきました。

かつて「岩手陸軍飛行場(後藤野飛行場)」があった場所です。

 

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工業団地の一角にある公園

 

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この公園内に、碑、説明板がまとまって設置してありました。

 

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裏側には沿革が刻まれてました。

沿革(全文)
  一九三七年(昭和十二年)日中戦争が始まった七月、岩手県下の市町村長会議で愛国機の献納と飛行場設置が決議され、当時の黒沢尻、花巻の二町と藤根、江釣子、岩崎、横川目、飯豊、二子、湯田、笹間、太田、湯口、湯本の十一ヶ村で「後藤野飛行場設置同盟会」を結成し、地権者から僅少価格で用地を買収して、その実現を図った。
  広さ百二十万坪(三九六ヘクタール」は関東の熊谷飛行場(三一四ヘクタール)をしのぐもので、抜根、整地作業は建設機械のなかった当時、県下中等学校(現高等学校)地域青年団、職場を単位として結成された「青少年勤労報国団」の勤労奉仕によって、すべて人力によって行われた。
  翌年九月二五日秩父宮を迎えて献納式が行われ「岩手陸軍飛行場」と命名された。起工式から竣工まで一四八日、延十二万八五一人、総工費僅か八万七千円であった。
  当所は陸軍の教育訓練飛行場として使用され、上空には赤トンボと呼ばれた複葉練習機が飛び交ったが、一九四四年(昭和十九年)本土が空襲を受けるようになって俄かに実戦基地化され、「神鷲隊」という特攻隊が移駐し短期間の訓練の末各地に配属されていった。翌年八月九日 米軍艦載機により空襲を受けて飛行場の施設が破壊され、隣接する民家に投下された爆弾で横川目国民学校四年○○○君(当時十歳)が犠牲となった。同日、特攻隊三機が発進したが○○○○中尉(二十二歳)○○○○少尉(二十二歳)○○○伍長(十九歳)は 還らぬ人となった。
  一九四五年(昭和二十年)八月十五日終戦となって飛行場の役目が終った後藤野は、国から払い下げを受け開拓団が入植して農地に生まれ変わり、さらにその一角には工場が誘致され工業団地となって発展した。当時の飛行場の面影を残すものは何もなく忘れ去られようとしている。戦後五十年に当り、この地が飛行場跡であることを後世に伝え、さらなる平和を願い、地区民ならびに篤志者の淨戝と、北上市、花巻市の御援助により記念の碑を建立するものである。
一九九五年(平成七年)十二月二十一日
後藤野飛行場史跡整備委員会

 

 

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説明板拡大

碑文にもありますが、「県から軍に献納された飛行場」なんですね。

陸軍が使用しましたので、「愛国飛行場」ということでしょうか。

 

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説明板の地図拡大

この公園は工業団地の隅っこにあるのですが、

飛行場があった時にはこの公園が中心地だったのですね。

それにしても、こんなに飛行場の資料が充実している跡地は初めてです。

まだそんなに見学してませんけど。

この後地元の図書館に寄ったら休館だったのですが、もういいことにしました。

 

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秩父宮殿下を迎えて行われた献納式を記念する碑

 

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公園のすぐ近くにはこんな風景が広がってました。

 

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岩手陸軍飛行場:map  


   岩手県・岩手陸軍飛行場(後藤野飛行場)跡地   

岩手陸軍飛行場 データ
設置管理者:旧陸軍
空港種別:陸上飛行場
所在地:岩手県北上市和賀町後藤
座 標:N39°19′55″E141°00′08″
面 積:396ha
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1937年07月 「後藤野飛行場設置同盟会」結成される
1938年09月 献納式
1945年08月 空襲を受ける
戦後は農地、工業団地になる

関連サイト:
国土地理院 1947年11月当時の写真(USA M621 321) (■→「同意する」→戻る→再度■をクリック)   


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