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第二郡山航空基地(金谷飛行場)跡地 [├空港]

  2009年9月訪問、2017/8/20:更新  


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1947年10月当時の写真(USA R413 25) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)  

昭和17年、福島県郡山市郡山駅の南、阿武隈川右岸沿いに、

「第一郡山航空基地」、「第二郡山航空基地」が設置されました。

現在の国道49号線を境に南側に第一航空基地(整備教育)の兵舎が林立し、

北側に第二航空基地(練習訓練)の広大な飛行場がありました。

この飛行場は地名から「金谷飛行場」とも呼ばれました。

そして第一、第二は隣接しているのですが、ここから西北西約6km離れた場所には「第三郡山航空基地」もありました。

第三航空基地は現在郡山駐屯地になっています。

「第〇郡山航空基地」という名称から、(じゃあ郡山には第一から第三まで3つの飛行場があったのか)

と思ってしまうのですが、第一は整備士の教育施設だったのだそうで、

「航空基地」と言いつつ実際に飛行場があったのは、第二、第三のみでした。

第一航空隊跡地には現在、日大がありますが、

昭和31年の暮、鉄筋コンクリートの建物(現2号館)が完成し、翌32年から使用開始するまでは、

航空隊が使っていた木造の兵舎を使用していたのだそうです。

D20_0020.jpg

写真は第二航空基地跡で、現在は郡山中央工業団地として整備されています。

防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地位置図」の中に「第二郡山航空基地」の略図がありました。

いわゆる細長い滑走路ではなく、八角形っぽい形の着陸帯として描かれており、

大きさは、1,100mx1,250m とありました。

当時の航空写真に八角形の地割が残っていれば作図したかったのですが、

1947年の航空写真を見ても、既に開墾が進んでいるようで、それらしい地割は見つからず、

今のところ詳しい地図等も見つからないため、残念ながら作図できておりません。

「第二郡山航空基地」の敷地は、阿武隈川と谷田川で東西から挟まれており、

二つの河の間は1km強しかありません。

このため飛行場敷地として使用可能な場所はおのずと限定されます。

また、国道49号線すぐ北側にエプロン等諸施設(先頭の航空写真で白く映ってる)がありますから、

このエプロンの辺りから北側に、そして両川いっぱいに着陸帯が広がっていたと思われます。

 

郡山市は積極的に飛行場誘致活動をしており、

1939年(昭和14年) には逓信省が市の案内で大島、庚担原(大槻)、

川田(豊田)、早稲原(喜久田)、境伝左衛門(喜久田)、金谷(高瀬)などを視察しました。

また、これとは別に海軍省は海軍航空隊を福島県内に建設するため調査していたのですが、

1941年(昭和16年)7月、福島市よりも郡山市周辺が適地であるとの結論を出していました。

そして1942年(昭和17年)2月、次の通り設置地域を決定しました。

郡山第一海軍航空隊 田村郡守山町徳定
郡山第二海軍航空隊 田村郡高瀬村金屋
郡山第三海軍航空隊 安積郡大槻町北部

一旦決定された後は突貫工事で建設が進められ、

1日20台の自動車、近郊農村の馬車、牛車が徴用され、海軍施設協力会が創設されました。


軍隊が駐留する都市を広義で「軍都」、「軍郷」と呼びますが、

1944年(昭和19年)1月、内務省は「軍都整備事業計画」を表明しました。

これは、国が正式に指定した「軍都」に支援を行う。というものです。

当時の郡山市長はこの軍都加入を強く希望し、

運動の結果茨城県土浦市、青森県大湊市を抜いて、

国から正式に「軍都」として指定された11の都市の1つとなりました。

これにより、

安積橋・上亀田線新設(現:西の内線)(3.5万円、長さ:400m)

金山橋・開成山線新設(現:国道49号)(29万円、長さ3,350m)

が完成しました。郡山市の負担は5万円でした。

こうして郡山は軍都としての道を突き進むことになり、

飛行場には付属の海軍施設部、格納庫、中島飛行機整備工場など数十棟が並び、

軍都整備、軍需工場、軍部隊、貯金局などの誘致で郡山は活気のある街に発展しました。

そして当然のことながら、この「軍都郡山」を米軍が見過ごすはずもなく、

戦争末期には「郡山空襲」として知られる大空襲により、多くの犠牲を出したのでした。

防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」に第一、第二の資料がありました。
以下引用させて頂きます。

位 置基地名最寄り駅よりの方位 距 離  粁建設年
飛行場
長x幅 米
格納庫収容施設
福島県安積郡永盛村第一郡山
東北本線郡山駅
   S3
1944下記共用
小型 50機分
中型 50機分
10,000名
第二郡山
同     同
   S3
同上
1,100x1,000
芝張
小型100機分
2,000名

 

基地名工場倉庫教育施設隊外酒保
送信所
方位測定所
主要機隊数主任務
第一郡山郡山市〇下記共用飛行機整備教育
第二郡山上記共用小型練6.0同上

 

基地名隧道並に地下施設掩 体其の他記事
第一郡山〇一部工事中  
第二郡山居3,000?、燃、通?他工事中 

〇印……施設あるも数量不明


     福島県・第二郡山航空基地(金谷飛行場)跡地    

郡山市史5近代(下)477pに「郡山地方でも金屋海軍飛行場や、大槻海軍飛行場の建設によってつぶされた耕地も多い」と記されていました。また「日東紡績第三工場も、十九年に中島飛行機に接収された工場の一つである。中島飛行機は接収と同時に飛行機部品の製造を開始した。しかし翌二十年の終戦によって日東紡績に返還されたが、二十一年にパラマウント硝子工業株式会社として再出発するのである。また、松葉製糸も同じように飛行機製造会社の接収に遭い松葉飛行機と改名し、その製造を開始するのである。しかし製造の開始が二十年四月であり実際には準備のみで終戦を迎えている」と記されていました

第二郡山航空基地(金谷飛行場) データ
設置管理者:旧海軍
空港種別:陸上飛行場
所在地:福島県郡山市田村町
座 標:N37°22′29″E140°23′54″
着陸帯:1,100mx1,250m(1,500mx1,350mとする資料もあり)
(座標はグーグルアースから)

沿革
1942年 2月 飛行場建設決定
1945年 4月12日 郡山大空襲
      7月29日 市内にパンプキン爆弾(模擬原爆)投下される
      8月9,10(8,9?)日 飛行場空襲

この記事の資料:
郡山市史
郡山の歴史
「海軍航空基地現状表(内地の部)」
「海軍航空基地位置図」


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