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旧女満別空港跡地(旧海軍美幌第二航空基地) [├空港]

  2009年7月訪問 2018/3/24更新  

無題3.png
測量年1924(31-13-1女満別)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

現在の女満別空港のすぐ北側に隣接していた「旧女満別空港」。

その歴史は古く、空港のある大空町のサイト内にこんな説明がありました。

昭和10年当時の話です(下記リンク参照)。

元々は、冷害克服のためオホーツク海の流氷や、気象観測が目的で設置されました。
当時の中央気象台は静岡県清水市三保出張所の根岸錦蔵気象観測隊員を派遣し、
女満別村営の競馬場を滑走路に選び、村民総動員の協力により突貫工事で飛行場を完成させました。
こうして、昭和10年(1935年)3月23日に女満別の空に初の流氷観測機が飛び立ったのです。

1935年、村民総出の工事で500mの滑走路が1週間で完成したとあります。

元々は「気象台の観測用飛行場」として建設されたんですね。

その頃の航空写真か地図が見たかったんですが、当地の1945年までの写真/地図については、

1897年測量の地図、(上に貼った)1924年測量の地図、1944年測量の地図が全てでした。

ということで、先頭の地図は1924年のもので、女満別村集落のすぐ南側に南北方向に伸びる細長い地割があります。

恐らくこれが競馬場で、ここを滑走路にしたのではないかと。



このグーグルマップは、

防衛研究所収蔵資料:航空路資料 第11 北海道地方飛行場及不時着陸場 昭和16年3月刊行 水路部

にあった「要図」から作図しました。

かなりアバウトな地図でいろいろ矛盾が生じており、無理やり作図したおおまかなものですのでご了承くださいませ。

沿革にもまとめましたが、1935年に競馬場を500m滑走路にした後、翌1936年に650mに延長し、

1943年には海軍美幌第二航空基地建設が始まっています。

防衛研究所の「要図」は1940年頃のものなので、

1936年に滑走路を650mに延長して気象観測用飛行場として運用中のものであり、

海軍航空基地として工事が始まる前の時期ということになります。

「要図」にはいろいろ書き込みがありました。

上のグーグルマップの赤マーカーの位置に「中央気象台格納庫」があり、

緑マーカーの辺りは「凸凹アリ」、青マーカーの位置は「種馬所」と記載されていました。

競馬場はなくなりましたが、馬の関連施設が飛行場敷地内にあったんですね。

無題4.png
測量年1944(31-13-2女満別)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

前述の通り、1943年に海軍美幌第二航空基地建設が始まっており、これはその翌年の地図です。

交差する二本の滑走路の地割がハッキリ描かれていますね。

無題5.png
撮影年月日1947/10/21(USA M577 141)■  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 

沿革にもまとめましたが、当飛行場は1945年に連合国軍により爆破されて使用不能にされました。

上の写真1947年撮影ですから、使用不能にされてから2年後の写真です。

戦後早々に使用不能とされたのですが、1952年には米軍が修理の上不時着場として接収しました。

爆破したり修理したり忙しいですね。

旧女満別.PNG
写真:国土画像情報(オルソ化空中写真) 国土交通省
撮影年度:1977年 地区名:女満別 編集・加工して使用

その後、1956年の一部返還を受けて丘珠空港線不定期運航が開始され、

1985年に現在の女満別空港とバトンタッチするまでの間、ここが女満別空港でした。

上の写真は1977年撮影なので、管理者が女満別町から北海道に移管し、第三種空港として運用中のものです。

元々村民総出で競馬場を滑走路にしたのは、この南北滑走路の東側部分で、

日本海軍が建設を進めた東西滑走路の周辺に当たります。

元祖の場所から少し西側に造られた滑走路の地割が今日まで残ることになったんですね。

では村民の造った飛行場の地割は消滅してしまったかというとそんなことはなく、道路の方向に残っています。

尤も、滑走路の元となった競馬場の方向が当時からあった道路、鉄道、網走湖、集落等、

地理の関係で決まったように見えるので、

「飛行場の地割が今も道路の方向に残っている」というよりも、

村の開拓の歴史が気象観測飛行場の地割に影響を与え、それが現在も残っているという表現の方が正しいのだと思います。

新空港に移転した後は、ボッシュ社の女満別テクニカルセンターとなりました。 

滑走路はテストコースに。

この経緯は旧紋別空港と似てますね。

「中央気象台の観測用」という稀有な飛行場で始まり、海軍基地、米軍の不時着場を経て民間空港となり、

現在はドイツの会社が使用するという。。。

ものすごく歴史のある、そして波乱万丈の空港だったのですね。

「大空町」という町名、2006年の女満別町と東藻琴村の合併で誕生したのですが、

いいですね~^^

D20_0306.jpg

女満別空港跡地。周囲はぐるっと高い塀に囲われています。

 

旧女満別.PNG
写真:国土画像情報(オルソ化空中写真) 国土交通省
撮影年度:1977年 地区名:女満別 編集・加工:空港探索・とり

ところでこの写真はR/W36東側部分なのですが、部分に掩体壕が残っています。

 

D20_0303.jpg

 

D20_0305.jpg

すごいですね。

通称「広告掩体」だそうです。

海軍型掩体壕特有の凸型の開口部

これは道路からも目立つ南側の掩体壕です。

もう1つの北側の掩体壕も見たかったのですが、発見できませんでした。とほほ。


     網走郡・旧女満別空港     

現在空港跡地を使用しているボッシュ社によりますと、施設を現在の2倍に拡張する計画が進行中だそうです

旧女満別空港 データ(当時)
設置管理者:国土交通省 防衛省
空港種別:第3種空港 
所在地:北海道網走郡大空町‎女満別中央‎
座 標:N43°54′19″E144°09′51″
滑走路:1,200mx60m(コンクリート)、1,300mx80m(コンクリート) 「日本海軍航空史」より
磁方位:18/36
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1935年 3月 中央気象台が気象観測飛行場として設置 滑走路500m
1936年 6月 滑走路延長650m
1943年 海軍飛行隊 美幌第二航空基地建設開始
1945年 滑走路等一部は完成したが、連合国軍に爆破され使用不能になる
1952年 米軍、修理の上不時着場として接収
1956年 4月 一部返還
     6月 北日本航空、丘珠空港線不定期運航
1958年 7月 全面返還 女満別町が管理
     12月 第三種空港F級として供用開始
1961年 4月 女満別町から北海道に移管 
1963年 4月 第3種空港として供用開始 滑走路1,200m
1981年 9月 ジェット化のため空港南側に新空港着工
1985年 4月 新女満別空港供用開始、女満別空港廃止

関連サイト:
女満別空港の歴史  
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この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:航空路資料 第11 北海道地方飛行場及不時着陸場 昭和16年(1941年)3月刊行 水路部


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