So-net無料ブログ作成

浅茅野第一飛行場跡地 [├空港]

 2009年7月 訪問 

浅茅野第一地図.PNG

前記事の「浅茅野第一飛行場」から国道238号線でオホーツク海沿いに更に南下した所にある「浅茅野第一飛行場」。

1947年撮影の写真(下記リンク参照)からすると、滑走路位置はおおよそこんな感じ。

先ずは国道238から南下する道を通り、A地点に向かいました。

 

D20_0050.jpg

画面奥がA地点方向。すぐにこんな小道と交差します。

 

D20_0051.jpg

現在はサイクリングロードになっている天北線跡です。  

 

D20_0055.jpg

 

D20_0059.jpg

A地点付近

この道にはいくつか牧場の入り口があります。

朝の6時過ぎに周辺をウロウロしたのですが、人影はない代わりに朝露に伏した数頭の牛さんにジッと見られました。

飛行場運用当時既にあったのかは不明ですが、この道は国道238と飛行場を結ぶ3本の道の1つとして1947年撮影の写真にもハッキリ写っています。

特に滑走路西側唯一の道で、掩体壕、誘導路につながっていました。

 

D20_0063.jpg

ハイ、A地点に到着しました。

A地点の西側(方向)はこんな感じ。画面中央部をズームすると・・・

 

D20_0067.jpg

こうなります。

現存する掩体壕の一部です。

実はですね・・・この掩体壕の右側にもいくつか掩体壕が残っているのですが、

現地で写真を撮っていた時は「ココに残ってるのはこの2つだけ!」と思い込んでますた。

埼玉からはるばる行ったというのに・・・下調べ不足です。_| ̄|○ il||li

 

D20_0064.jpg

全体を撮った写真を思いっきりトリミングして、上の写真の右側部分を一応アップしておきます。

なんとなくポコポコしてるのが掩体壕だそうです。

で、この後(裏側から掩体壕が見えないかしらん)と考えて、道道732を走ってみたのですが、

緑が壁のようになってるわ、道はあらぬ方向に向かっていくわでダメでした。とほほ。

(オイラが調べた限りでは)合法的に掩体壕が見られるのはこのA地点のみのようです。


 

D20_0076.jpg

一旦国道に戻り、東に進んで再び南に延びる道を入り、B地点に向かいました。

こちらでも先ほどのA地点に向かう道同様すぐに線路跡の小道と交差します。

 

D20_0080.jpg

「飛行場前駅」

1955年に国鉄の仮乗降場として開業しました。

開業当時、飛行場は終戦でとっくに閉鎖されていましたが周囲になんにもないため、

「飛行場がないのに飛行場前」になったのだそうです。

路線廃止と共に駅が閉鎖になって今年で20年。ご覧の様子です。

駅跡から更に南下していくと・・・

 

D20_0092.jpg

 

D20_0095.jpg

B地点付近から道沿いにいくつか古い構造物が現れます。

上2つは同一のものです。橋脚跡?

 

D20_0097.jpg

ちょっと行った先にも似たようなものが。これも橋脚跡?

 

D20_0103.jpg

門柱跡だそうです。

 

D20_0106.jpg

こちらは水槽の支柱だそうです。

 

D20_0108.jpg

滑走路周辺と思われる辺り。

飛行場だった範囲の道路を全部通ってみたのですが、

上記以外の古い構造物、滑走路跡等特に発見することはできませんでした。

 

浅茅野第一飛行場:map  


 

    宗谷郡・浅茅野第一飛行場跡地   
浅茅野第一/第二飛行場建設には大勢の朝鮮人労働者が動員され、冬期間も続けられた苛酷な工事により多数の犠牲者を出したのだそうです。

浅茅野第一飛行場 データ
設置管理者:旧陸軍
種 別:軍用陸上飛行場
所在地:北海道宗谷郡猿払村浅茅野及び枝幸郡浜頓別町
座 標:N45°11′24″E142°14′39″
面 積:120ha
滑走路:1,200m×60m 板敷き
   1500m×300m 転圧(未完成)
   1200m×150m 転圧(未完成)
磁方位:03/21
*座標、磁方位はグーグルアースにて算出

沿革
1942年 06月 着工
1943年 秋滑走路完成
1944年 秋(冬?) 完成
1945年 09月閉鎖

関連サイト:
Wikipedia/浅茅野飛行場   
国土地理院 1947年9月当時の写真(USA M513 19) (■→「同意する」→戻る→再度■をクリック)  
ブログ内関連記事
  


コメント(13)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行