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札幌第一(北海タイムス社、札幌)飛行場跡地 [├空港]

  2009年6月訪問 2018/3/15更新  


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測量年1928(46-10-3-2茨戸)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

沿革にもまとめましたが、1925年(大正14年)に北海タイムス後援の道内宣伝飛行のため、

当地が飛行場として(一時的に)使用されました。

それから2年後の1927年、北海タイムス社が現在北区役所のある北24西6を中心に飛行場開設しました

(先頭のグーグルマップ青マーカー)。

また「航空年鑑昭和6年(1931年)」には、

「北海タイムス社飛行場(陸)札幌市北二十四・二十五條西六・七・八丁目(東西一九〇南北三六〇)」

と記載されているとアギラさんから情報頂きました。

「札幌飛行場」でググると、「北海タイムス」というワードはたくさん出てくるんですが、

「北海タイムス社飛行場」というそのものズバリの飛行場名は、

現在のところググってもこのアギラさん情報以外出てきません。ありがたや。

で、頂いた情報の「札幌市北二十四・二十五條西六・七・八丁目」を囲ったのが先頭のグーグルマップのグレー部分。

「東西一九〇南北三六〇」とは、飛行場の敷地の広さを示す(190mx360m)ものだと思うんですが、

その通りの大きさに引いたのがパープル部分です。

…なんか、パープル部分を横に寝かせた方がしっくりくるような。。。

グレーの範囲内に飛行場があったはずなので、パープルをどの位置に落ち着けようか。と思ったんですが、

パープルの横幅だと、2ブロック使えば東西方向は充分おつりがくる大きさなんですよね。

でもせっかく資料に「西六・七・八丁目」とあるので、3ブロックにまたがった位置に置いてみました。

北海タイムス社が飛行場を開設したのが1927年、後述しますが逓信省がここを拡張したのが1933年。

上の地図は1928年測量ですから、「北海タイムス社飛行場」が絶賛運用中の地図ということになります。

測量が行われた当時、確かにここに飛行場があったはずなんですが、特にそういう地割、記載はないですね。

イマイチハッキリしないんですが、ともかくこの辺りに「北海タイムス社飛行場」があったはずです。

この場所に立って、1927年にタイムスリップして、位置を確認したい!

位置の確認さえできれば、もう戻れなくてもいい!(マテ)


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測量年1935(46-10-3-4茨戸)  

出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

前述の通り、「北海タイムス社飛行場」は1933年に逓信省の「札幌飛行場」となり、

1937年に公共用陸上飛行場として許可を受け、同年東京への定期便の運航が始まりました。

防衛研究所収蔵資料:航空路資料 第11 北海道地方飛行場及不時着陸場 昭和16年3月刊行 水路部

に当飛行場要図があり、上のグーグルマップはそこから作図しました。

すぐ下の地図は、「札幌飛行場」開設から2年後のもの。

今度はちゃんと飛行場の地割がありますね。

同資料には飛行場についての詳細な情報もあり、「昭和15年8月調」とありますので、

東京便開設から3年後の札幌飛行場について記していることになります。

実はグーグルマップの機能を使って二次元の作図をすると、自動的に面積を出してくれます。

優れものですね(*´∀`*)

薄紫部分が飛行場敷地、濃い紫部分が着陸地区です。

作図後、薄紫部分は「0.549 平方キロメートル」と表示されました(編集画面でないと見れない)。

一方、防衛研究所の同資料によれば、札幌飛行場は「総面積約55萬平方米」とあります。

それで飛行場の地割は大体こんな感じで合ってると思います。

 

L字形の敷地のうち、西側部分が着陸地区で、東側部分は着陸地区から除外されているんですが、

資料によればこれは敷地の東側が泥炭地で軟弱なためで、「要図」には「離着陸禁止区域」と記載があります。

また敷地南西部分(赤マーカー)に付帯施設が並んでおり、「要図」にはそれぞれの施設の名称がありました。

東側から順に、航空局庁舎、日航事務所、計量器庫、整備場、日航格納庫、油庫、整備工場、

海軍予備航空団格納庫、北海タイムス社格納庫、帝国飛行協会格納庫 とあります。

グーグルマップを拡大して頂きますと、青マーカーのところに「札幌飛行場 正門跡」とあるのですが、

「要図」でもまさにこの部分が門として描かれています。

それからこれもアギラさん情報なんですが、

「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)の中にある

「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、

北海道帝國大學學生航空研究會、北海中學校、札幌工業學校グライダー部が札幌飛行場を滑空場として使用していた

と記されています。

アギラさん情報ありがとうございましたm(_ _)m 

 

防衛研究所収蔵資料:航空路資料 第11 北海道地方飛行場及不時着陸場 昭和16年3月刊行 水路部

にあった当飛行場情報を以下引用させて頂きます。

札幌飛行場(昭和15年8月調)
札幌市北24條西5丁目(札幌駅の北方約3粁)

所管 航空局
着陸場の状況
高さ 平均水面上約10米。
広さ及形状 本飛行場は長さ南北約800米、幅東西約700米のL字形地(総面積約55萬平方米)なり・着陸区域は南方建物敷地を除き長さ南北約800米幅東西約470米を一辺とし、長さ東西約550米(中央)幅南北約400米の地区を一辺とする略L字形地区なり(付図参照)。
地表と土質 普通土又は泥炭土。
地面の状況 本場は草地を整地の上転圧せるものにして起伏なく一面に芝発生す・南より北に向い下り勾配約1/800、西より東に向い下り勾配1/1200なり・着陸区域は堅硬地なるも東辺より約240米間は泥炭地なるを以て地表軟弱にして離着陸に適せず目下使用禁止中なり・排水設備は南北に走る9條の排水暗渠及之に斜交せる小暗渠多数ありて周囲の排水溝に注ぐ排水良好なり・日射に因る影響は夏季晴天続くときも地面に亀裂を生ずることなく却って良好なり・雪解期は地盤幾分軟弱なとなるも普通の降雨にては變化なし・2月中旬より3月迄は降雪量多く12月中は積雪約30糎、1月-3月間は約140糎に及ぶことあ
り。
場内の障碍物 南側に格納庫及無線鉄塔(高さ20米)あり・本場の北端より北方約230米に高さ約11米の高圧送電線及場の周囲に立木、民家点在す。
適当なる離着陸方向 南北又は東西方向。
離着陸上注意すべき点 南北方向使用の場合は東辺より約300米付近に離着陸し、東西方向使用の場合は240米隔りたる処より発着するを要す・本場はL字形地区なるを以て北西方向の離着陸はL字形の交點の排水溝に突入せざる様注意を要す。

其の他
本飛行場は札幌市の北端北24條西5丁目より琴似村に亙り工費約31萬円を以て昭和8年3月設置せられ、昭和12年2月公共用陸上飛行場として許可せれらたるものなり・昭和12年4月1日より札幌東京間940粁の定期航空開始せられ、大日本航空株式会社の基点終点飛行場として輸送機発着し旅客及郵便の物輸送を行いつつあり、目下毎日1回発着す・下り便は午前7時羽田発仙台
青森を経て午後1時には札幌飛行場に到着す。

排水用の暗渠が張り巡らされていたんですね。

今でも掘れば出てくるのかしらん。

札幌~羽田間、所要時間が約6時間というのが時代ですね~。

ところが戦局の悪化から、この年東京便は無期限運休が決定してしまいます。

年表をご覧頂ければ明らかなんですが、この後徐々に軍の飛行場としての性格が強まってゆき、

札幌飛行場は結局陸軍の飛行場になります。

そして当飛行場が手狭になったことから、陸軍は札幌市内にもう1つ飛行場を建設することを決定。

1942年に当飛行場から北東約4.5kmの場所を用地買収し、着工。

翌1943年に完成しました。

こうしてもう1つ造られたのが現在の「札幌飛行場(丘珠空港)」で、

当時は元祖であるこちらを「札幌第一飛行場」、

そして新しく出来た方を「札幌飛行場」、「札幌第二飛行場」とも呼んでいました。

 


無題a.png
撮影年月日1947/09/10(USA M469 25)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

Wikiによれば、

「1945年8月 市民を動員して100haへの拡張工事が行われるものの、太平洋戦争の終結とともに中止される」

とあります。

上の航空写真は終戦から2年後のものなんですが、

逓信省時代の飛行場の地割と、拡張工事跡であろう地割が共存しています。

1,200m滑走路が目立ってますね。

実はオイラ、当第一飛行場の作図として、正方形の敷地の地図をずっと載せていたんですが、

これは特に正方形であることを示す資料があったわけでもなく、

「航空写真でそんな風に見える」、「陸軍飛行場は方形のことが多い」というオイラの主観が根拠でした。

Wikiに「100ha」とあるんですが、 正方形だと130ha位になってしまうため、

改めて航空写真を見直して、どこが削れるか探したのが上の作図です。

まあこの敷地の形にも何の根拠もなく、飽くまでオイラの主観ですのでご了承くださいませ。

北東の角を削ってやっと111haとなり、100haまでにはもう少し削る必要があるんですが、

オイラにはこれが限界でした。

敷地の南西部分、ゴッソリ削れるんですが、ここ取っちゃうと一気に90haになるんですよね。

1947年測量の地図もあるんですが、飛行場の地割は先頭の1935年のものとまったく変わりがないため、

残念ながらどこを拡張したのかの参考にはなりませんでした(;´Д⊂)

草を刈って整地されているだけの滑走路で、機体がぬかるみにはまれば、

みんなでワッショイ、ワッショイ引き上げるというのどかさだったんだそうです。

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一見何の変哲もない通りに見えますが、画面中央に門柱が並んでいるのがわかりますでしょうか。

 

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前述の通り、「要図」でもちょうどこの付近に正門があり、正門の左側に諸施設が並んでいました。

現在は開発が進み、すっかり市街地に変貌を遂げたため、門柱、碑が唐突にそこにあるという印象です。

最後の札幌飛行場長だった故辻領一さんの夫人ヤスノさんの証言でも、

「正門は北24西8にありました」とのことで、ここはまさにその住所です。

 

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右柱

 

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右柱後方にはこんなレリーフが。

「飛」の文字が入っているので載せておきます。

 

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左柱

 

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説明板

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「風雪」碑

 

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消えてしまった全国無数の飛行場もこうして碑が残っていると探すのにとても助かるんですが…(願望)

かつてここでは20年程の期間、当たり前のようにヒコーキが飛び回る日常があり、

この場所から羽田への定期便が飛んでいた時代が確かにありました。

門柱と碑が今もこうして無言の証人となっています。


    北海道・札幌第一(北海タイムス社、札幌)飛行場跡地      

札幌第一(北海タイムス社、札幌)飛行場 データ
設置管理者:北海タイムス→逓信省→陸軍
所在地:北海道札幌市北区北24条西8丁目1番地
座 標:N43°05′23″E141°20′15″
面 積:53ha(1933年拡張時)→100ha?(終戦時)
飛行場:
 北海タイムス社飛行場:190mx360m
 札幌飛行場(1933年拡張時):800mx700m
 札幌第一飛行場(終戦時):滑走路1,200m(12/30)
(座標、磁方位、滑走路長はグーグルから)

沿革
1925年 北海タイムス後援の道内宣伝飛行のため、当地が飛行場として使用される
     6月26日、永田重治操縦士の操縦するアブロ式504K複葉機が初の試験飛行を実施
1927年 1月 旧北海タイムス社、現在北区役所のある北24西6を中心に飛行場開設。格納庫、事務所等設置
1932年 8月 帝国議会が札幌飛行場建設を可決
1933年 6月9日 逓信省、北24条一帯を55万平方メートルの国営飛行場とし、民間機や報道用の定期空輸に使用
     南北約800m東西約870m
1936年 陸軍特別大演習観兵式開催
1937年 3月 逓信省より飛行場長派遣。航空局札幌飛行場を設置。
     4月1日 日本航空輸送株、フォッカー・スーパーユニバーサル機による札幌-仙台-東京間の定期航路開始
1938年 丸井百貨店の屋上に航空燈台設置
     11月 フォッカー機が東嶽山山中に墜落したため東京便の定期航路一時中止
1939年 海軍予備航空団支部を設置。国策会社として大日本航空輸送株式会社誕生
1940年 戦局次第に厳しさを増す。東京便の無期限運休決定。会社経営による航空事業停止
     10月現在、北海道帝國大學學生航空研究會、北海中學校、札幌工業學校グライダー部が滑空場として使用
1941年 大日本飛行協会札幌飛行訓練所設置
1942年 9月 日米開戦により北海タイムスは施設一切(飛行機3機、格納庫2棟等)を大日本飛行協会に献納
     以後札幌飛行場は札幌飛行訓練所となり、陸軍教官により北大等の学生に操縦教育を施す場となる
     陸軍飛行第13戦隊設置。九七式戦闘機9機配置
1944年 初めて軍用の板敷き滑走路(1,200mx50m)が完成したが、ほとんど使われなかったという
1945年 陸軍紺五四○部隊が駐屯。九五式練習機を配備。戦争末期には特攻訓練が行われた
     札幌市、琴似町等の隣地約99万平方メートルの買収や寄付を受けて大拡張工事着手したが終戦。飛行場閉鎖
     秋、進駐軍の火炎放射器により、軍用、民間機を問わず場内のありとあらゆるものが焼却される

関連サイト:
みてきて北区/75.昭和二十年、炎の中に消える-札幌飛行場  
札幌飛行場   
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この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:航空路資料 第11 北海道地方飛行場及不時着陸場 昭和16年3月刊行 水路部