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札幌第一(北海タイムス社、札幌)飛行場跡地 [├空港]

 2009年6月 訪問 

札幌飛行場跡地.PNG

札幌市内には丘珠空港(正式名称:札幌飛行場)があって、札幌市と道内各都市を結ぶ空の玄関口になっていますが、

その丘珠空港から約4.5km南西の場所にも、かつて「札幌第一(札幌)飛行場」と呼ばれた飛行場がありました。

旧北海タイムスが当地を飛行場として使用したのが始まりです。

現在のところ検索しても、「北海タイムス社飛行場」というワードではヒットしないのですが、

昭和6年の航空年鑑には、「北海タイムス社飛行場」として記載されています(アギラさん情報・後述します)。

後に国営になり、戦前の道内民間航空史上、東京に定期航路を持つ唯一の「札幌飛行場」となりました。

その後、陸軍の飛行場になったのですが、手狭になったことから北東約4.5kmにもう1つ飛行場を造りました。

こうして、ここが「札幌第一飛行場」、新しく出来た方を「札幌第二飛行場」としました。

赤で囲んだ部分がかつての札幌飛行場で、灰色なのがおおよその滑走路。

草を刈って整地されているだけの滑走路で、機体がぬかるみにはまれば、

みんなでワッショイ、ワッショイ引き上げるというのどかさでした。

そしての部分に当時を偲ぶ碑などが固めて展示されています。

 

D20_0005.jpg

一見何の変哲もない通りに見えますが、画面中央に門柱が並んでいるのがわかりますでしょうか。

 

D20_0007.jpg

当時の写真を見てみると、ちょうどこの付近にターミナルなどがあったようです。

現在は開発が進み、すっかり市街地に変貌してしまいました。

門柱、碑が唐突にそこにあるという印象です。

最後の札幌飛行場長だった故辻領一さんの夫人ヤスノさんの証言によれば、「正門は北24西8にありました」とのことで、

ここはまさにその住所。

この辺りに正門があったことになります。

 

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右柱

 

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右柱後方にはこんなレリーフが。

「飛」の文字が入っているので載せておきます。

 

D20_0016.jpg

左柱

 

D20_0014.jpg

説明板

 

アギラさん情報ですが、「航空年鑑昭和6年」には、「北海タイムス社飛行場(陸)札幌市北二十四・二十五條西六・七・八丁目(東西一九〇南北三六〇)」として載せられているのだそうです。北海タイムスが報道用に使用し始めた飛行場ですから、「北海タイムス社飛行場」というのは当然の名称ですね。

また、「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)の中にある「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、北海道帝國大學學生航空研究會、北海中學校、札幌工業學校グライダー部が札幌飛行場を滑空場として使用していたと記されています。昭和15年当時の札幌飛行場は当飛行場しかありませんでしたから、ここを使用していたのだと思います。アギラさん情報ありがとうございましたm(_ _)m

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「風雪」碑

 

D20_0012.jpg

僅か20年で姿を消してしまった飛行場ですが、門柱と碑がこうして無言の証人となっています。

消えてしまった全国無数の飛行場もこうして碑が残っていると探すのにとても助かるのですが。

 

札幌第一(北海タイムス社、札幌)飛行場:map  


    北海道・札幌第一(北海タイムス社、札幌)飛行場跡地      

札幌第一(北海タイムス社、札幌)飛行場 データ
設置管理者:北海タイムス→逓信省→陸軍
所在地:北海道札幌市北区北24条西8丁目1番地
座 標:N43°05′23″E141°20′15″
面 積:53ha(1933年拡張時)
滑走路:1,200m?
磁方位:12/30
*座標、磁方位、滑走路長はグーグルにて算出

沿革
1925年 北海タイムス後援の道内宣伝飛行のため、当地が飛行場として使用される
       6月26日、永田重治操縦士の操縦するアブロ式504K複葉機が初の試験飛行を実施
1927年 1月、旧北海タイムス社、現在北区役所のある北24西6を中心に飛行場開設。格納庫、事務所等設置
1932年 8月、帝国議会が札幌飛行場建設を可決
1933年 6月9日、逓信省、北24条一帯を53万平方メートルの国営飛行場とし、民間機や報道用の定期空輸に使用
       南北約800m東西約870m
1936年 陸軍特別大演習観兵式開催
1937年 3月、逓信省より飛行場長派遣。航空局札幌飛行場を設置。
       4月1日、日本航空輸送株式会社、フォッカー・スーパーユニバーサル機による札幌-仙台-東京間の定期航路開始
       片道6時間
1938年 丸井百貨店の屋上に航空燈台設置
       11月、フォッカー機が東嶽山山中に墜落したため東京便の定期航路一時中止
1939年 海軍予備航空団支部を設置。国策会社として大日本航空輸送株式会社誕生
1940年 戦局、次第に厳しさを増す。東京便の無期限運休決定。会社経営による航空事業停止
       10月現在、北海道帝國大學學生航空研究會、北海中學校、札幌工業學校グライダー部が滑空場として使用
1941年 大日本飛行協会札幌飛行訓練所設置
1942年 9月、日米開戦により北海タイムスは施設一切(飛行機3機、格納庫2棟等)を大日本飛行協会に献納
       以後札幌飛行場は札幌飛行訓練所となり、陸軍教官により北大等の学生に操縦教育を施す場となる
       陸軍飛行第13戦隊設置。九七式戦闘機9機配置
1944年 初めて軍用の板敷き滑走路(1,200mx50m)が完成したが、ほとんど使われなかったという
1945年 陸軍紺五四○部隊が駐屯。九五式練習機を配備。戦争末期には特攻訓練が行われた
       札幌市、琴似町等の隣地約99万平方メートルの買収や寄付を受けて大拡張工事が着手されたが、終戦。飛行場閉鎖
       秋、進駐軍の火炎放射器により、軍用、民間機を問わず場内のありとあらゆるものが焼却される

関連サイト:
みてきて北区/75.昭和二十年、炎の中に消える-札幌飛行場  
札幌飛行場   
国土地理院 1947年9月当時の写真(USA M469 25) (■→「同意する」→戻る→再度■をクリック)   
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