So-net無料ブログ作成

尾島飛行場跡地 [├空港]

 2009年6月、2016年4月 訪問 

2016/6/15追記:滑走路位置の資料が見つかったため、記事修正しました。

無題4.png
1946年6月当時の写真(USA M159-A-5 99) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

滑走路位置の特定がなかなかできないまま記事をアップしていた「尾島飛行場」なのですが、

「航空路資料第3 関東地方飛行場及不時着陸場 昭和18.8 水路部」の中に、尾島飛行場の詳細な地図がありました。

これまでどんなに探しても出てこなかった着陸帯がハッキリと図示されていました(;´Д⊂)

更に、格納庫、油庫等の位置も示されていました。

その通りに作図したのが上図です。

「尾島飛行場は群馬県と埼玉県に跨っている」という点は幾つもの資料に出ているのですが、

実際に資料の通りに線を引っ張ってみると、着陸帯はほぼ埼玉県にあります。

ブログ的に県別の分類をしている都合上、これは「埼玉県・尾島飛行場」にした方がいいのだろうか。

とも思ったのですが、格納庫、事務所等建物があるのは群馬県側であることと、「群馬県の中島氏」の飛行場であることから、

一応群馬県の飛行場のままにさせて頂きました。

 

中島飛行機の創設者、中島知久平の出身地は、群馬県新田郡尾島村字押切(現在の群馬県太田市押切町)。

「これからは航空機の時代である」との信念の元、海軍を辞して地元に戻り、ヒコーキ工場と飛行場を造ります。

2つ前記事の「中島新邸」のすぐ近くに作ったデコボコの滑走路こそ、尾島飛行場。

後に中島飛行機は爆発的な発展を遂げ、太田市に巨大工場群と太田飛行場という立派な飛行場を作ります。

「中島飛行機」というと、この太田市の大工場と飛行場に目が向きがちですが、

中島飛行機が発足したばかりの時期、できたヒコーキを飛ばしていたのはこの「尾島飛行場」でした。

この尾島飛行場、終戦まで使用していました。

 

ヒコーキ製作の会社を立ち上げ、記念すべき第1号機が完成し、

早速尾島飛行場に運んでテスト飛行を開始したのですが、

当初は失敗の連続で、なかなか満足に飛ばすことができませんでした。

そのため当時太田の町では、

「札はだぶつく、お米は上がる、何でも上がる。上がらないそい中島飛行機」

「飛行機乗りには娘はやれぬ 落ちたヒコーキで芋を掘る」

などという落首が流行ったのだそうです。

後に国内の飛行機メーカーとしては三菱と双璧を誇り、「中島と三菱に作れないもの即ち国産化不可能ということを意味した」

とまで言われるようになった中島にもこんな創生期があったのですね。

 

前述の通り尾島飛行場の敷地は群馬県、埼玉県にまたがっており、ほとんどが県の所有地でした。

そのため両県の知事に許可を求める必要がありました。

テスト飛行開始翌年の大正8年、

埼玉県内地域が2月12日付、群馬県内地域が2月20付で飛行場として正式に認可されました。

これを祝して4月25日に尾島飛行場開場式が行われました。

大正8年4月26日付の上毛新聞には、「尾島飛行場の開場式盛大に挙行」として、

「新田郡太田町日本飛行機製作所尾島飛行場開場式は、25日、利根川原なる同飛行場において盛大に挙行されたり。

数万の観衆が見守る中、練習用125馬力中島式5号にて絶技を演ず」。

という記事が載りました。

 

 


 

その後の尾島飛行場に関しては、ほとんど資料が残っていません。

市史に「1945年7月28日 関東地方に来襲したP51 240機が太田、尾島、生品、赤堀各地を銃撃」

という記録が残っている程度です。

生産が拡大すると、中島飛行機は太田市中心部に拠点が移動してしまい、

中島飛行機についての記録もそちらに話が移ってしまいます。

尾島飛行場には戦後ほどなく酪農家が入植し、今に至るのだそうです。

DSC_0043.jpg

撮影地点・1 土手の上から滑走路方向

 

DSC_0059.jpg

撮影地点・2 格納庫、油庫等があった辺り

 

DSC_0047.jpg

撮影地点・3 この先に格納庫等がありました。


   群馬県・尾島飛行場   

尾島飛行場 データ
設置管理者:中島飛行機
所在地:群馬県新田郡尾島村字押切(現在の群馬県太田市押切町)
座 標:N36°14′46″E139°20′17″
滑走路:700mx300m 緊急時には1,000mx600m
磁方位:07/25?
*座標、磁方位はグーグルアースにて算出

沿革
1917年        測量
1918年        整備され、滑走路使用可能の状態に。中島一号機のテスト飛行始まる
1919年04月25日 尾島飛行場開場式
1945年        終戦 入植

 

この記事の資料:
太田市史通史編 近現代
群馬の戦争遺跡
歴史のなかの中島飛行機
国土地理院 1946年6月当時の写真(USA M159-A-5 99)   
国土地理院 1947年10月当時の写真(USA R256-No1 120)
(■→「同意する」→戻る→再度■をクリック)   

2013/10/25追記:PUTINさんから情報いただきましたm(_ _)m 
米軍の日本本土の軍事目標に関する偵察写真情報の一部
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4011093
上記の483コマ目に高高度から撮影したOTA飛行場の写真があります。


コメント(31)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー