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成増陸軍(高松)飛行場跡地 [├空港]

 2009年4月 訪問 

1941年12月の開戦から破竹の進撃を続ける日本軍に対し、

1942年4月、米軍は軽量化した陸軍の爆撃機B-25を空母から発艦させるという奇想天外な作戦(ドーリットル空襲)により東京をはじめとする都市部を爆撃。

戦線を南方に急拡大していた日本軍は、突如本丸に踏み込まれた事実に衝撃を受けます。

本土防空を担当していた陸軍は帝都(東京)防衛強化が急務であることを痛感。

急遽飛行場を建設することにしたのでした。

そして選ばれたのが当時の東京都板橋区練馬田柄、練馬土支田、練馬高松でした。
(*戦後、板橋区の一部が分離して練馬区が発足)

「練馬高松」が由来だと思うのですが住民からは「高松飛行場」とも呼ばれました。

Wikiによりますと、「1943年6月24日 - 飛行用予定地の地権者が、印鑑持参で再び区役所に呼ばれ、買収契約が強制調印され、居住する約60戸に対し、8月末までに立ち退くよう申し渡される。土地は時価より高額で買い取られたが、農作物の補償はなく、移転費用は現物支給である上に、移転期日に間に合わず、移転者は困惑した。」と書かれていました。

 

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現在の東京都練馬区光が丘公園がその場所で、かつてここに成増陸軍飛行場があり、

おおよそですがこんな感じで南北に伸びる1,200mの滑走路がありました。

 

そして終戦。

この飛行場は接収されて駐留米軍家族の住宅になり、

米十八代大統領グラントにちなみ、「グラントハイツ」と命名されました。

何故に大昔の大統領??と不思議だったのですが、グラントは陸軍出身の有名な将軍なのですね。

後に空軍に移管するのですが、ここは元々米陸軍家族のための宿舎として建設されたのだそうです。

余談ですが実はオイラ一時期成増に住んでまして、ずっとグランハイツだと思ってました。

周囲でも正しく呼んでた人はいなかった気がします。

 

その後、ここに住んでいた家族の帰国、移転が進み、徐々に空洞化していきます。

返還運動が始まり、1973年ついにグラントハイツは全面返還されました。

 

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写真:「国土画像情報(オルソ化空中写真) 国土交通省」
撮影年度:1974年 地区名:赤羽、志木、東京西部 編集・加工:「空港探索・とり」

1974年当時の写真。

全面返還が1973年ですからその翌年ですね。

敷地の上の部分が一部東側に飛び出ていますが、1,500mの補助滑走路予定地だったのだそうです。

敷地の3分の1を公園にすることになり、返還の翌年から工事が始まりました。

そして1981年、60.7haの光が丘公園開園。

公園内部をうろついてきました。

 

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「イチョウ並木」周辺。

園内に図書館があり、郷土コーナーに飛行場時代の地図などあったのですが、

南北に伸びるこの通りの少し西側に並行して滑走路があったようです。

 

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園内の体育館と図書館の間、けやき広場の前にある平和記念碑

 

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平和記念碑(全文) この地には 一九四三年(昭和十八年)帝都(首都)防衛のため成増陸軍飛行場がつくられ 多くの若い生命が空に散っていった。地元住民にとっても 農地を強制買収され 基地づくりに動員された忘れがたい地である。終戦直後の一時期 この広大な地域は米軍キャンプとして接収され米国第十八代大統領グラント将軍にちなみグラントハイツと呼ばれた。その後 多年にわたる返還運動が実り みどりと太陽の武蔵野台地にコミュニティ「光が丘」が誕生した。練馬区は一九八三年(昭和五十八年)に「非核都市練馬区宣言」を制定し 「世界の恒久平和は人類共通の願い」であるとして「核兵器の廃絶と軍縮」を強く訴えている。本年は戦争終結から五十年 歴史の大きな節目の年にあたる。この時にあたり戦中 戦後の歴史の激しい流れを見つめてきたこの地に区民の総意を込めて平和の記念碑を建て 練馬地域の多数の戦没者を悼むとともに 空爆による被災者や第二次世界大戦による内外諸国民の多大な犠牲を省みるものである。ここに練馬区民は 戦争の悲惨さと平和の尊さを心に刻み 平和を守る決意を新たにしたい。 一九九五年(平成七年)八月十五日 練馬区

 

成増陸軍飛行場:map  


       東京都・成増陸軍飛行場跡地       

帝都防衛基地として調布飛行場と双璧でしたが、末期には特攻隊が移駐してきたそうです。

成増陸軍飛行場 データ
設置管理者:陸軍
所在地:東京都板橋区練馬田柄、練馬土支田、練馬高松(現練馬区光が丘)
座 標:N35°46′00″E139°37′46″
面 積:181ha
滑走路:1,200m×60m(18/36)コンクリート舗装(道路や家屋模様に迷彩が施された)
*座標はグーグルアースから算出

沿革
1942年     測量開始
1943年     風向調査
      06月 陸軍と地権者との用地譲渡契約調印
      08月 成増陸軍飛行場着工
      12月 飛行場竣工
1945年08月 接収、駐留開始
1947年04月 駐留米軍の家族住宅着工
1955年     居住する米軍の帰国や移転によりハイツ内は空洞化→返還運動が活発になる
1959年07月 米軍、立川に移駐 家族も移駐 啓志線閉鎖
1973年     グラントハイツ全面返還
1981年12月 光が丘公園開園
1992年03月 光が丘団地完成

この記事の資料:
光が丘の地図集
Wiki:成増飛行場   
国土地理院 1947年9月当時の写真(USA M470 2) (■→「同意する」→戻る→再度■をクリック)   
次の記事で成増飛行場に現存する掩体壕のことを書きます。


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