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東武東上線物語・3 [├場所]

前記事で予想外に反応のあった杭について、
一般的なことしかわからなかったのですが、一応貼っておきます。
詳しい方からの情報お待ちしておりますm(_ _)m

「不動産用語集」より:
・境界・境界杭
境界とは、原則として、不動産登記法で言う土地と土地の境のこと。所有権がある土地の境い目のことを指します。境界とは、土地登記簿や付属地図により、公的に設定された境い目のこと。すべての土地には、法務局により、必ず一区画ごとに地番が付され、一区画を一筆の土地として、一登記用紙を設け、登記簿の表題部に登記される。この地番と地番の境い目を境界という。これにより、境界は所有権の範囲、つまり所有権界と一致するのが原則となる。また、境界を示すために打ちこまれた、石やプラスチック、金属などでつくられ杭のこと境界杭といいます。

また、この東武杭に関しては、東武の私有地でありながら現在は公共の道路として使われているため、固定資産税での優遇措置があるらしいのだそうです。

情報いただいたサイト様、どうもありがとうございました m(_ _)m



それでは前回の続きです。

 

線路跡をたどった後、東松山図書館で当時の様子を調べてみました。

東上線と松山飛行場、地元の人々の時代背景など、

分かった範囲で大体時系列にまとめてみます。

 

1908年(明治41年)10月
東上鉄道(当時は東武鉄道と別会社)、豊島区巣鴨から埼玉県の東松山市、本庄市、群馬県の高崎を経て渋川市に至る鉄道敷設免状を受ける。

個人的に、「東上線」という名前の由来がずっとナゾでした。

地図で見ると、どう見ても東京から西に向かって上がってます。

(東上線じゃなくて、西上線じゃ・・・)とずっと思ってました。

しかし上の一文が謎解きのカギとなります。

「渋川市に至る~」とある通り、今でこそ埼玉県寄居が終点ですが、

当初は 京から群馬県(野国/州)の渋川市を目指していたのです。

池袋から群馬県渋川ですよ?

地元のオイラはなんかワクワクしてしまいます^^

もしもこの計画が実現していれば、池袋から「温泉特急”いかほ”」なんて出てたりして。

しかも第2期として、新潟県長岡町まで結ぶ、総延長237kmという遠大な構想もありました。

豪儀な話じゃあ、ありませんか。

その場合は「東越線」とかになるのでしょうか。

冬になると、スキー板を抱えた若者が大勢深夜の池袋のホームに並び、

「特急”なえば”」に乗り込んだりとか・・・。

 

1911年(明治44年)11月
東上鉄道創立総会


1914年(大正3年)5月
東上鉄道 池袋~田面沢(現川越市~霞ヶ関間に位置)33.5km営業開始

因みに大正10年作成の路線図には、池袋~坂戸間が実線で、そこから先が点線で示されているのですが、その点線は寄居を通らず、寄居から数キロ熊谷寄りの秩父線小前田駅を経由して高崎まで延びています。

元々東上線の路線はもっと真っ直ぐに計画されていたのですが、「是非我が町を通って欲しい」という熱烈な誘致活動が各地で起こり、そんなこともあって結果的に現在のグニャグニャ路線になってしまったといういきさつがあります。

当時小前田を経由して高崎を目指す計画だったのが、結局寄居止まりになってしまったのも、様々な紆余曲折を経てのことだったのでしょうね。


1923年(大正12年)11月
小川町まで開通


1925年(大正14年)7月
東上線、池袋~寄居間全通

1932年
松山町(現東松山市)が中心になって地元(調錬原付近・箭弓神社裏旧松山陣屋)に「愛国飛行場」を誘致する運動を起こし、帝国飛行協会による土地調査が行われる。

松山町、地元に飛行場作る気マンマンです。


1935年
松山町、工場誘致を本格化させる

松山町周辺の村々の悩みの1つは工業、特に軍需工業の隆盛により、

若年層を中心とする労働力が東京方面に流出し、地域経済の発展を阻害することでした。

そのため、中島飛行機の分工場や、伊藤飛行機製作所等の招致を試みているのですが、

結局工場誘致活動は限られた成果しか挙げることができませんでした。

 

1938年5月
国家総動員法

輸送機関も戦時輸送統制の対象となり、

地方鉄道の国有化、合併が政府指導の下で進められ、

こうした背景で1940年の請願が行われることになったと考えられます。

 

1940年1月
東上線沿線地域30市町村長が国有国営期成同盟会を結成(会長:川越市長)

「東上線の国有化を請願」-これは今回図書館で初めて知ってビックリしました。

危うく隣の席の人に「東上線、国有化ですって!」 と話し掛けるところでした。

もしこれが実現していたら、今頃「JR東上線」だった可能性もあるわけです。

東松山史にこの時の請願書が載っていましたので、要約してみます。

 

・請願要旨
池袋~寄居間を国庫にて買収し国有化して欲しい

・請願理由
本線は帝都と上越を結び、沿線開発と旅客輸送重要路線としての使命達成が創設の目的であった。ところが、寄居にて秩父鉄道と連絡するところで頓挫してしまっている。しかし、国鉄八高線の開通によって、寄居から高崎に達することとなり、はからずも当初の目的を貫徹することとなった。こうして裏日本に通ずる要路として本線の使命はまったく重大となり、その運用の国防上、産業上に影響するところはきわめて大きいものがある。鉄道会社の経営は、さまざまな要因が複雑にからみ、時局の変化も合わせて困難を極める。本線の産業国防上の重要性を考慮すれば、本線昨日の完璧を期するため、全線国有化こそ現下時局に即応するものである。

沿線自治体が出した請願書ですが、社是まで持ち出すなど、

まるで東武鉄道側が主張しているのかと錯覚するような内容です。

国鉄八高線開通のことに触れたのは、

「東上線を国有化すれば、東京から高崎、新潟までの直通輸送に一層便利ですよ」

というアピールでしょうか。

そもそも、大赤字で廃止を検討しているわけでもないのに、

沿線自治体が雁首揃えて「国で買い取ってください」なんて発想そのものが

オイラにゃ理解不能です。

こうした動きについて別の東松山史にはこんな説明がありました。

 

「国有化運動の背景には、戦時体制に入ってからの輸送量の増大にともなう輸送力増強の遅れという事態があった。この請願書は、東上線が国防上も産業上も重要路線であることを認識させ、沿線の振興を図る意図を持っていた。東上線を重要路線とすることで、工場誘致を積極的に進められるという思惑が働いていたといえよう。」

(こうした動きの中、国は1943,1944年度に22路線《合計1,051.4km、うち未完成14.0km》の民営鉄道の買収を行いましたが、結局東上線が国有化されることはありませんでした。この時期本当に買収された私鉄が結構あったんですね。)

 

ところで東武鉄道側はこの動きをどう捉えていたのでしょう。

普通に考えれば、「我が社の国への売り渡しを画策するなど言語道断!」ということでしょうが、

時代が時代なだけに想像もつきません。

「東武鉄道百年史」という広辞苑並みの分厚い社史があり、

その中でこの運動についても触れられていました。

「東上線国有化運動の波紋」として1P強割いています。

その中で、国家総動員法、当時の軍事上の要請という時代背景を取り上げ、

実際に千キロを越える民鉄の国有化があったと述べています。

そして、こうした時流の中でこの運動は起きたこと、

沿線30町村が同盟を結成し、同線が国防上、産業上、重要路線であることを強調し、

同線を国有化して戦争遂行にさらに役立てるべきであると訴えた。

という点を述べています。 

また、「東松山市の市史に当時の請願文が残っていた」として、オイラがこの記事を書くのに重要な史料となった「東松山市の歴史 下巻」から請願文の一部を引用しています。

この社史、外部からの意見に対する反論を載せるなど、人間味を感じさせる箇所が見受けられるのですが、この国有化運動に関しては起きた出来事を淡々と載せるだけの客観的な論調に終始しており、沿線自治体の動きに関して、ありがたいとも迷惑だとも、主観的なコメントが一切ありません。

東武が史料として用いた市史には、「運動の背景には、戦時体制に入ってからの輸送量の増大にともなう輸送力増強の遅れという事態があった」という、自治体が国有化運動を起こしても仕方がない、いわば”東武側の失点”についての文言が含まれているのですが、東武の社史はこの点に触れていません。

東武の社史編さん委員がこの部分を見なかったのか、あえて触れていないのか、オイラには知る由もありません。

ここからはオイラの想像を含むのですが、この当時の東上線は、人員輸送、貨物輸送共に戦争特需で絶好調でした。東武側とすればそれでよいのかもしれませんが、沿線自治体側からすれば、単に自分の町の労働者を東京方面の軍需工場に吸い取られているだけ。

ならばということで松山町を中心に工場誘致活動を始めましたが、仮に大規模誘致に成功しても、現実問題として東上線の輸送力増強の遅れがネックとなっています。ならば国有化して設備投資に国の金が使えるようになればこうした心配もなくなる! ということなのでしょうか。

社史のこのページは、「結局、東上線は国有化されることなく、いつか運動は立ち消えとなり、終戦でこの請願は目的を喪失した」という一文で結ばれています。 

 

1941年
「鉄道、軌道統制令」、「配電統制令」

1943年(昭和18年)
松山飛行場建設開始。

ここでやっと本編の主役、「松山飛行場」の登場です。

「営業している線路をどかして、そこに軍用飛行場を造る」-

当時の世情をご存知の方にとっては、「あの時代なら、まぁ、あるんじゃない?」

と、違和感なくすんなり受け入れられるのかもしれませんが、

個人的な感覚としては、これはあまりにも突拍子のないことに思えたのですが、

そこに至るまでの流れを抜き出してみると上述のようになります。

 

ここまでの流れを要約してみますと-
・軍部の権限強化に拍車をかける数々の法律施行
・飛行場誘致活動を行い、東上線国有化の請願書を提出する地元
・軍需工場用に線路を引くため、複線営業区間を単線に変えてまで協力する東武鉄道

やはり「時代」なのでしょうか。

飛行場建設を巡る周辺環境がこれだけ整っているのであれば、

「営業している線路をどかして、そこに軍用飛行場を造る」ということは、

当時としては決して突拍子のないことではないのかもしれません。

 

余談になりますが、

国が22路線、千キロ以上の民営鉄道の買収を実施したことについて上で書きました。

それとは別に、「鉄道の休止、廃止」も実施されています。

1943~1945年(昭和18~20年)にかけて、「企業整備」という名の下、不要不急線は撤去、転用され、これにより休止鉄道は36企業(165km)、廃止鉄道は17企業(62km)に上りました。

東武鉄道は1943年(昭和18年)7月に越生鉄道(坂戸~越生 10.9km)を買収したのですが、

翌1944年(昭和19年)12月、軍部からこの「不要不急線」に該当するとして運休命令が下ります。

従業員、車両は、宇都宮線西川田駅に移され、中島飛行機の地下工場で働く従業員の輸送に当たりました。

線路その他の諸資材は、被爆が予想された東上線の復旧用としました。

 

1945年(昭和20年)1月
「軍需充足会社令」、「地方鉄道及軌道における納付金等に関する法律」

次々発令される法律により、東上線も厳しい統制下に置かれ、

ますます戦時体制の一翼を担うこととなります。

 

1945年(昭和20年)8月
終戦

線路移設までして用地を確保した松山飛行場は、結局未完成のまま終戦を迎えたのでした。

(「埼玉県・松山飛行場」に続きます) 

 

 

この記事の資料:
東武鉄道百年史
東松山市史


コメント(18)  トラックバック(0) 
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コメント 18

tooshiba

>大赤字で廃止を検討しているわけでもないのに、
>沿線自治体が雁首揃えて「国で買い取ってください」なんて発想そのものが
>オイラにゃ理解不能です。
(*゚∀゚)つ=lキーワード「官尊民卑」

強制的に買収された路線もありますからね。
南武線とか横浜線とか鶴見線とか。

今の東上線の盛況からは想像できないと思いますが、東上鉄道のころは沿線の人口が少なく、また通勤通学で長距離を列車・電車を利用する乗客も少なかったようです。
なので、経営が苦しかった可能性はあります。
そこで根津一族の東武鉄道に身売り?吸収合併?となるわけです。

現在の東上線系統そのものの収益力は高いんですよ?
支線が越生線しかないから。後は小川町から先のワンマン区間。
単体ではもちろん黒字で東武全体の4割だかの利益を生み出しています。
でも、戦後一貫して本線系統より格下扱いをされてきて、
東上「ロマンスカーを走らせたい」
本社「そんなもんいらね」
東上「新車が欲しい」
本社「中古で我慢しろ」
みたいなやり取りが延々と続きました。
副都心線絡みで、十数年ぶりにようやく新車が投入されましたが、その間は在来車の入れ替え・追加でお茶を濁されてきました。

ちなみに、沿線に飛行場があった西武鉄道(当時は池袋線は武蔵野鉄道)は、決して手放そうとはしませんでした。
むしろ、都市部の糞尿を肥料として郊外へ運び収益をあげるビジネスモデルを確立しました。
それを揶揄して「黄金電車」と蔑まれたりもしました・・・。
by tooshiba (2008-11-10 11:59) 

ジョルノ飛曹長

なるほど!!東京から上州で東上線!!
私もこれが謎だったんですよー。^^


by ジョルノ飛曹長 (2008-11-10 13:01) 

miffy

東上線の「上」って群馬だったんですね(+・`ω´・)ヘぇ~☆
父の故郷は伊香保の近くなんですよ。
by miffy (2008-11-10 18:42) 

OILMAN

こんにちは。
初めて東上線の意味を知りました。
伊香保までつながっていれば、たぶんそれに乗って温泉に行っていましたね。
by OILMAN (2008-11-10 21:59) 

セバスちゃん

勉強になりました。
杭いる内容です!
アレッ?
by セバスちゃん (2008-11-10 22:36) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■xml_xslさん
nice! ありがとうございます。

■tooshibaさん
記事でも書きましたが、国有化運動当時の東上線は戦争特需で収支は絶好調でした。また、自治体の請願書、松山史を見る限り、国有化請願の理由は輸送力増強と沿線活性化なのですが、確かにtooshibaさんご指摘のキーワード、「官尊民卑」という観点で改めて請願書を見ると、非常にすっきりとあてはまるように思えます。戦争特需とはいえ、将来を見据えてのことだったのでしょうか。
>収益力は高い
それ、毎日東上線で通勤通学する人たちの不満な点です。

■ジョルノ飛曹長殿
呑み屋ネタになりますね^^

■Krauseさん
nice! ありがとうございます。

■masaさん
nice! ありがとうございます。

■miffyさん
ホント、ヘぇ~☆ ですよね。
おお、お父様は伊香保の近くが故郷ですか。
風光明媚な所ですよね。

■カンクリさん
nice! ありがとうございます。

■OILMANさん こんにちは。
温泉好きですか^^
東上線で渋川まで行けたら楽しかっただろうな~。

■こけもも:さん
nice! ありがとうございます。

■セバスちゃんさん
ありがとうございます。
オイラも思わず杭いりました^^

■赤と青さん
nice! ありがとうございます。
by とり (2008-11-11 06:17) 

Qoo

凄い、よく調べましたね~
大変勉強になりました
by Qoo (2008-11-11 10:21) 

アスランマリオ

不動産まで学べてしまった!
東上、上州とは・・・恐れ入りました。

by アスランマリオ (2008-11-11 21:03) 

まめ助の母

いやぁ〜
東松山の歴史お勉強になりました
松山のお友達より東上線に関しては語れるかも!!
by まめ助の母 (2008-11-11 21:29) 

コスト

東武といえば、伊勢崎線や日光行きが有名だと思ってたんですが
>「愛国飛行場」 愛国って今じゃ使わないですが、経済的な理由での誘致にしても旧高松空港などと違って、作る気満々ですねw
高松じゃ「戦争に勝つため断腸の思いで」とあったのに。

>国家総動員法 ずっとどういう効果があったのか疑問だったんですが、地方鉄道とかも国有化したりと意外とすごい法律だったんですね^^;
by コスト (2008-11-11 21:40) 

Tripleseven

何で東京はそのままなのに、群馬は上野国になるんじゃ~!! 江戸と上野で江上線でも良いじゃん。
(江上線って他の場所にあったような気もしますが…)
あ、すみません。ただの戯言です。多分路線の名前をできるだけ違和感のないモノにするためなんでしょうね。

この記事はまさしく鉄道の記事ですね (^^;



by Tripleseven (2008-11-11 22:17) 

pica

考えたこともなかった「東上線」の意味。
「温泉特急”いかほ”」なんて、いいですね~。
そーいえば、以前、西武池袋線が軽井沢まで
繋げるって話がありましたよね。
by pica (2008-11-12 04:14) 

とり

■Qooさん
ただのモノズキです^^;

■ぴーすけ君さん
nice! ありがとうございます。

■アスランマリオさん
ただのヒマジンです^^;

■まめ助の母さん
今回調べてて思ったのですが、松山ってものすごく歴史のある町なんですね~。

■コストさん
東武鉄道というと、どうしても日光線、伊勢崎線がメインですからね~。
旧高松空港との相違点、言われてみれば確かにそうですね。記事では「松山は飛行場作る気マンマン」とか大雑把に書いてしまいましたが、それは単に時の代表者の意向に過ぎないわけで、反対する人もいたかもしれません。高松空港は、優良農村として表彰されるような土地をつぶしてしまったわけですから、そのへんの違いもあるかもしれません。しかしよく覚えておられますね~。
>国家総動員法
オイラもそれ思いました。地元に実際に影響があったこととなると、グッと身近に感じられます。

■Triplesevenさん
>江上線
きっと線名決定会議で出てきたでしょうね^^

■picaさん
都心から出ている中では最も日の当たらない路線ですからね。
たまにこんな記事を書いてもバチは当たりますまい。
>西武池袋線
そんな話があったんですか!
実現してたら面白そうですね~。
by とり (2008-11-12 07:19) 

とり

hiro78さん
nice! ありがとうございます。
by とり (2008-11-13 07:03) 

まめ助の母

ん!
今頃思いついたけど
東京に上っていくって事で東上線ってことは?
by まめ助の母 (2008-11-13 22:28) 

an-kazu

おかげさまで、
私もスッキリすることができました(*^^*)
by an-kazu (2008-11-14 00:36) 

とり

■まめ助の母さん
今まで名前の由来についていろいろ考えて来ましたけど、
その発想はなかったですm(_ _)m
なんか納得しちゃいますね。

■an-kazuさん
ありがとうございます。
スッキリ~^^
by とり (2008-11-14 06:25) 

とり

ハイマンさん
nice! ありがとうございます。
by とり (2008-11-16 16:22) 

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