So-net無料ブログ作成

高知空港周辺の掩体壕 [├場所]

D20_0085.jpg

高知空港西側一帯の水田に点在する掩体壕群 

 

高知空港の前身は、高知海軍航空隊基地でした。

1941年から1945年にかけ、飛行場の誘導線に沿って、

コンクリート製掩体壕9基、

木、竹、土製のものを含めて合計41基が作られたそうです。

 

高知空港の滑走路西側の水田地帯には、

7基の掩体壕(大型1基,中型6基)が今も残っています。  

ここは南国市前浜なので、「前浜掩体壕群」 と呼ぶそうです。 

かねてから行きたいと思っていた掩体壕群を見て来ました。

 

掩体壕群は、2006年2月に南国市の文化財(史跡)に指定され、

大切に保存されています。

現地は水田の中に普通に掩体壕が点在していて不思議な世界でした。

 

周辺図.PNG
写真:「国土画像情報(オルソ化空中写真) 国土交通省」
撮影年度:1975年 後免地区  編集・加工:空港探索・とり

上の写真は高知空港と「前浜掩体壕群」の位置関係です。

赤線で囲われた約350m×500mの範囲に

赤点で示された掩体壕が7基現存しています。

 

原図拡大版 切り出し.PNG
写真:「国土画像情報(オルソ化空中写真) 国土交通省」
撮影年度:1975年 後免地区  編集・加工:空港探索・とり

掩体壕周辺を拡大したのがこちら。

上の2枚は1975年撮影で、もう30年以上前のもので、

道路、建物など、現在とは異なる部分があります。

 

ぐーぐる地図.PNG

↑記事書きと写真整理用に作った地図なのですが、

一応貼っておきます。

尚、予めお断りしておきますが、

「掩体壕がイビツじゃねw」とかいう苦情は一切受け付けません。

 

掩体壕に振ってある番号は、

「文化財に推進する会」で話し合って決められたもので、

現地の説明板にも出ている(らしい)公式のものです。

「南から順番に番号をつけた」のだそうです。

黄色の線は県道31号線なのですが、この県道で分割して

それぞれ南から番号を振っていったということなのでしょう。多分。 

 

7つの掩体を全部近寄って撮ってきました。

1号基から順番に貼ってみましたので、よろしければご覧下さいませ。

 


■1号掩体■ 

D20_0136.jpg

 

D20_0145.jpg

この1号掩体には敵機による機銃掃射の跡がたくさん(数十発単位で)残っているのだそうです。

前面の黒いシミのようなものがそうなのでしょうか?

残念ながらオイラには見分けがつきません。 

 

D20_0142.jpg

左手前にあるのが1号掩体。

その1号掩体の右隣にくっ付く様に小さく見えているのが4号掩体。

そして画面右側に2号掩体が小さく写っています。

前浜掩体壕群の各掩体開口部は、大体南~東を向いているのですが、

この1号掩体だけがそっぽを向くように東北東を向いています。 

地図で確認すると分かり易いです。

 

D20_0143.jpg

 

D20_0140.jpg

 


■2号掩体■

D20_0126.jpg

1号掩体(左奥)と2号掩体(右手前) 

互いにほぼ逆を向いているのが分かりますね。

 

D20_0134.jpg

2号掩体は、7基の中で最も車道から離れていて近寄り難かったです。

確かあぜ道はあったのですが、入っちゃってもよかったのかしらん。 

 

D20_0135.jpg 

現存する7基は、この2号掩体と6号掩体の向きがほぼ同じな以外、

すべて微妙に開口部の向きが異なっています。

航空機の効率的な出し入れのことを考えれば、真っ直ぐの誘導路に沿って

整然と掩体壕を作ればよいのに。と思いますよね。

この前浜掩体群もそうなのかは不明ですが、 

掩体群付近に爆弾を落とされた場合、

開口部の向きが同じだと航空機が全滅する危険性があるため、

意図的に向きを変えて建設したのだそうです。

 


■3号掩体■

D20_0111.jpg

7基の掩体壕の中で、最もツタに覆われている3号掩体。

戦争当時、完成した掩体は上空から目立たなくするために、

土をかぶせて芝を植えたりしたそうです。

そのため上空からは丘のようにしか見えなかったとか。

ツタが生えている面積では最大の大きさを誇る4号掩体の方が上かもしれませんが、

覆われている割合からいえばこの3号の方が秘匿性が高く、

7基の中では軍部の理想形に最も近いかもしれません。 

 

D20_0107.jpg 

 

D20_0114.jpg

3号掩体の最初の写真は県道から撮ったものなのですが、

この3号掩体は、県道のすぐそばにあり、視界を遮る障害物もありません。 

そのため車で通りかかって最も発見し易い掩体です。

掩体壕群周辺ではこの県道が最も道幅が広いです。

というか、1本道を入ると、1台でたちまち道を塞いでしまうような道幅のところが多いです。

オイラの小さい車でも、角を曲がる時には脱輪して水田に落ちやしないかとヒヤヒヤしました。

県道は結構通行量がありますが、見ての通りで道幅が限られているため、

(ん~。ドコに停めよう・・・)と停止したら、

たちまち片側交互通行渋滞を作ってしまいました。

ごめんなさい。

 


■4号掩体■

D20_0102.jpg

 

D20_0088.jpg

比較するものがなくて分かりづらいですが、

この掩体壕は高さ10m、幅45m、奥行22mあり、 

日本最大級のものの1つだそうです。

 

D20_0090.jpg

後ろから見たところ。 

強い存在感を放っていました。

 

D20_0093.jpg

 

D20_0094.jpg

注意を喚起する南国市教育委員会の立て札。

すっかり放置している感のある松山と比べ、

こちらはしっかり残していこうという意図が随所に感じられました。 

 

D20_0095.jpg

内部。天井が高いです。

戦時中は一式陸攻が格納されていたそうです。

 

D20_0099.jpg

内部側面。  

 

D20_0098.jpg

切り欠き部分を内側から撮ってみました。

他の中型掩体壕の切り欠き部分が、

機首部分で回転するプロペラを避けるための幅広なものなのに対し、

この大型掩体壕は、垂直尾翼を避けるための細いものになっているのが

特徴ですね。

格納する機体の形状に合わせた造りになっています。

 


■5号掩体■

D20_0105.jpg

 

D20_0101.jpg

(今のところ)乾田になっていて、ツタもからんでおらず、

掩体壕の外見が最も分かりやすい状態を保っています。 

 

D20_0104.jpg

4号以外の6基は全て似た形なので、

撮った写真はどれも、「水田の中に掩体」という、

同じような写真が延々続くことになります。

地元の方なら、背景を見て特定できるでしょうが、

よそ者のオイラには分かりません。

一応順番に撮っているのですが、判別に迷うものもあり、

その場合ヒントになったのが開口部の向きでした。

前述の通り、7基ある掩体は、2号掩体と6号掩体以外は

いずれも開口部の向きが微妙に異なっています。

 

例えば上の写真。

前後に撮った写真を含め、何号掩体だったか分からなくなってしまったのですが、

遠くに管制塔が見えます。

開口部の向きと合わせて考えると、この管制塔の見え方に条件が当てはまるのは、

5号掩体のみ。ということで、この写真(と前後の写真)は、5号だった。ということが

分かったのでした。

コマ数を記録しておけば済む話なんですけどね。

 


■6号掩体■

D20_0147.jpg

7基の掩体群のうち、5基は県道31号線の西側にあります。

6号掩体と7号掩体は県道の東側にある掩体壕です。

前浜掩体壕群はその見晴しの良さから、1つの掩体壕から360°見回すと、

必ず別の掩体を視認することができ、大抵2つ、3つと他の掩体を認めることができます。

ところがこの6号掩体だけは、県道近くに位置しているのですが、

建物の死角に入ってしまうため、予め地図で確認していないと見つけにくいです。 

 

D20_0149.jpg

手作り感溢れる造形ですね。

 

D20_0152.jpg

 

D20_0153.jpg 

 


■7号掩体■

D20_0117.jpg

現存する100基のうち、調布、松山、高知と、たかだか1割しか見ていないのですが、 

こんなに特徴的な掩体壕って、他にあるんでしょうか。

掩体の中を道路と用水路が通っています。 

上の写真だとほんの小さなトンネルに見えますが、

なんと地元の車が普通にくぐって行き交ってます。

 

そして恐らく、地元の方にとっては最も様々な感情が渦巻く掩体壕なのではないでしょうか。

この掩体に最終ナンバーを付したのは、

「推進する会」の意図的なものなのではないかとさえ勘ぐってしまいます。

 

D20_0118.jpg

戦時中に掩体が作られたわけですが、道路も用水路も、最初からここにありました。

わざわざ道と水路を塞ぐ形で掩体が作られたわけです。

素朴な疑問として、どうしてホンの少し右か左に避けて作らなかったのかと思ってしまいます。

航空基地としての機能を優先させると、

この場所に作る必然性があったということなのでしょうか。 

 

道路は遮られたら(比較的容易に)迂回させることができますが、水路の方はそうはいきません。

軍はここに掩体を作るため、直径20cmの土管を埋設して水を通すことにしました。

しかし、大雨の時などとてもこの太さでは足りず、洪水になってしまうということで、

地元の代表が「もっと太い土管に代えて欲しい」と嘆願しに行ったのですが、

「お前たちは非国民か、国賊か! 敵は待ってくれないぞ」

と言われ、まったく聞き入れられなかったのだそうです。

 

D20_0123.jpg

7号掩体の内部。内壁表面が独特の色と模様になっています。

この7号掩体の内壁には、ムシロと紙製のセメント袋が確認できるそうです。

掩体壕を作るには、まず土を盛って、掩体の形の山を作ります。

山を踏み固めたら、その上に紙製のセメント袋を敷いて、

その上に鉄筋を置き、セメントをかぶせます。

セメントが固まったら中の土を取り除き、掩体壕が出来上がりです。

そんな訳で、内壁表面にはセメント袋が残るのだそうです。 

 

1945年(昭和20年)7月の高知大空襲で街の7割が焼失。2万人が家を失いました。

焼け出された人たちの中にこの掩体壕に住み込んだ人がおり、

煮炊きをしたせいで天井の一部がすすけているのだそうです。

生々しい話です。 

 

D20_0121.jpg

後ろから見たところ。

戦後、農民が後ろの壁を壊して、道と水路を復活させました。

 

元々ここには三島村という村がありました。

当時の三島村長が帝国海軍の拠点であった広島県呉に呼び出され、

「基地を作るから承知せよ」の一言で村の7割が基地となり、

1,500人の村民が強制退去させられて自治体が1つ消滅しました。

そうしたいきさつと共に、特にこの7号掩体は、

「軍は国を守るが、住民を守るわけではない」

という思いを抱かせる存在となっているのだそうです。

 

高知県南国市前浜の延滞壕群:map  


コメント(23)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

コメント 23

おろ・おろし

掩体壕の詳細な紹介ありがとうございました。

最後のやつなんか、
最近テレビでやっている「珍100景」に、うってつけですね。

とりさん、投稿しては?
by おろ・おろし (2008-09-27 11:03) 

tooshiba

tooshibaが病の床に伏せりながら思いついたキャッチコピー。
「掩体壕は現代の古墳である。」
なんか良くね?(≧▽≦)
by tooshiba (2008-09-27 15:52) 

masa

田んぼの真ん中にすごいものがありますね。
最初、何だかわかりませんでした・・・
by masa (2008-09-27 17:47) 

miffy

田園地帯の掩体壕、絵になりますね~
周囲に溶け込んで全然違和感がないですね。

by miffy (2008-09-27 18:12) 

まめ助の母

先日ドラマで特攻隊となでしこ隊の
お話をやっていましたね
ビデオで撮ってついこの前見ました
掩体壕もアメリカ軍には見えていたのでしょうか?
残っているということは
見つかってなかったのかしら?
色々考えます
by まめ助の母 (2008-09-27 19:13) 

赤と青

よくもこれだけ詳しく、と驚きました。
by 赤と青 (2008-09-27 19:34) 

pica

さわやかな田園風景ですね。
その中に掩体壕。不思議と私も違和感を抱きません。
by pica (2008-09-27 19:40) 

ジョルノ飛曹長

掩体壕満喫できましたー^^
いやー これほど沢山あって、しかも入れるのは良いですよねー。
依然仕事で高知へ飛行機で行ったのにノーチェックでしたー。失敗しました。
レンタカーでも借りて散策すべきでした。
by ジョルノ飛曹長 (2008-09-27 20:53) 

an-kazu

良く残っていますね\^O^/

 レポおつかれさまでしたm(_ _)m
by an-kazu (2008-09-27 23:06) 

Tripleseven

これだけの掩体壕が残った理由はやっぱり壊す金が無かったというのがあります。
掩体壕7号が残った理由もまさしく壊す金が無かったということでしょう。
本来は全て壊してしまえば良かったんでしょうが、災い転じて福となすと言うか、
残ってしまったことが、戦争の史跡となり今は保存する方向になったというのが、
面白いですね。

なお、掩体壕1号は逃げ込んだ民間人30人が軍用機共々米軍の機銃掃射をうけた
といういわくつきの掩体壕なんですが、戦争というのはやっぱり殺し合いなんですよね。
地元の人間にとって、いつも自然にそこにあるものとして重要性の認識は薄れてしまいますが、
改めて見てみると、戦争について深く考えさせるモノなんですよね。
by Tripleseven (2008-09-28 01:22) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■おろ・おろしさん
どうもありがとうございます。
>「珍100景」
えーと、そういう番組があるんでしょうか??^^;

■xml_xslさん
nice! ありがとうございます。

■takemoviesさん
nice! ありがとうございます。

■tooshibaさん
>現代の古墳
おお、なんかいいかも。(^^)b

■yamagatnさん
nice! ありがとうございます。

■masaさん
普段見慣れない人間にとっては、「ナンだコリャ!」って感じですよね。

■Krauseさん
nice! ありがとうございます。

■miffyさん
>違和感がない
枯れた感じがいいんでしょうかね~。

■ぴーすけ君さん
nice! ありがとうございます。

■まめ助の母さん
>ドラマ
あ、オイラが見逃したやつだ^^;
存在についてはTriplesevenさんのコメにもある通り、アメリカにはバレバレだったみたいですよ。

■赤と青さん
ここはその筋では非常に有名な場所なんですよ。なので良質なサイトに恵まれました^^

■picaさん
確かにそんな感じですね~^^

■そらまめさん
nice! ありがとうございます。

■ジョルノ飛曹長殿
それは残念でした~。
次の機会に是非!

■yannさん
nice! ありがとうございます。

■an-kazuさん
ありがとうございます。
本当によく残ってマスネ^^

■Triplesevenさん
詳しい説明、ありがとうございました~m(_ _)m
末永く保存されるよう、Triplesevenさんから是非一言伝えてください^^
by とり (2008-09-28 08:07) 

ひろ茶

おひさしぶりですヽ(^◇^*)/
のどかな風景と戦跡…どこかラピュタの世界をイメージしてしまいました。
ロマンチックなイメージとは裏腹に、辛い歴史が眠っているのですね。
by ひろ茶 (2008-09-28 17:46) 

夢空

歴史を感じ、そして歴史の重みがひしひしと伝わるお写真の数々。
最後の「軍は国を守るが、住民を守るわけではない」の言葉が心にジーンと。
by 夢空 (2008-09-28 22:31) 

qin

うわ、でかっ!
私たちが掘った掩体なんて子供のおもちゃだわ。
でも機銃掃射くらってもびくともしないなんて相当丈夫に作ってあるんでしょう。
そう言えばブログでの突っ込みはやめましたが『男たちの大和』で神尾特別年少兵の母が妙子をかばって機銃掃射で撃たれて命を落とすシーンがありましたよね。
まぁさすがに忠実に再現するのはちょっと無理があるのでしょうが、人間が機銃掃射を喰らったら赤い霧が散ってその場には何も残らないんですよね‥‥(--;
服から煙が立っているだけのシーンを見て「おかん‥ サイボーグか?」と心の中で呟いたのは内緒です。
by qin (2008-09-28 23:06) 

コスト

 これは詳しいし、すごい資料になりますよ^^
一番の感想は、4号掩体の中のトラクターとか農機具はまだあるのかwってことです。
これ、僕が上京する前に行った時のまんまなんですよ(笑)
あの赤いトラクターが変わってないんですよ。僕が行った時は刈り取り終わってた時期で、稲が生えると違った風景に見えます。
3年前に東京に行くからと、地元周辺で写真撮ってた自分を思い出しました。

何号かは忘れましたが、高知空港へ離陸か着陸する飛行機がすごく近くに見えるポイントあったんですが、そこからだと掩体と飛行機が一緒に撮れた気がします。
歴史とか地図とかほんとによく調べたと思います。
地元では僕も戦争に詳しい友達に教えてもらうまで存在もしらなかったし、授業でも教えませんしね。

中を水路と道が通る7号掩体にいたっては、初めてみたと思います。
たぶん、5つぐらい写真撮って飽きて全部見なかったんだと思います^^;
僕が写真はフィルムなので、スキャナーが入手しだい僕の写真もアップしたいと思います。
nice!×3+郷愁です^^


by コスト (2008-09-28 23:10) 

アスランマリオ

とりさんの
「掩体壕探索」が出来そうですね。いつもながら、この調査には頭が下がります。
by アスランマリオ (2008-09-29 00:57) 

sak

高知にこんなにたくさんの掩体壕があるのですね(^^
田んぼの緑の中にすごくキレイ♪
by sak (2008-09-29 01:06) 

とり

■da-nakaさん
nice! ありがとうございます。

■たねさん
nice! ありがとうございます。

■ひろ茶さん
おおお、お久しぶりです。
そうですか。ラピュタを連想しましたか・・・。
別にシータはいませんでしたよ?(o ̄∇ ̄o)ニヤ

■夢空さん
災害派遣の機会が増え、(一部を除き)かつてなく好感度カが上がっている自衛隊。この先どういう状況になっても、あの頃の体質に戻ることはないと信じています。

■qinさん
>赤い霧
ままままぢですか。恐ろしい・・・。

■コストさん
>まんま
なんと! それは懐かしいでしょうね~。オイラは上に登ったりとかは、思いつきもしませんでしたよ。だってオイラ、オシトヤカですから^^
>一緒に撮れた
「掩体壕とヒコーキ」というのも面白い写真になりそうですね。気がつきませんでした。
コストさんが存在を知らなかったというのがすごく意外です。文化財指定が2年前なので、今の小学生は何かの形で知らされたりするんでしょうかね? スキャンできたら是非見せてください^^

■アスランマリオさん
>「掩体壕探索」
いつなくなるか分からない、儚い存在ですからね。見ることができるうちに、できる限り見て回りたいと思ってます。

■sakさん
ここはマ○アにとっては最高の環境です。
あ、オイラは○ニアじゃないですけどね^^
by とり (2008-09-29 06:34) 

OILMAN

こんにちは。
この辺は山の少ない地域なので飛行機を隠すためにはなくてはならなかったのでしょうね。

by OILMAN (2008-09-29 10:58) 

hiro78

感慨深いものがありますね。
興味深く拝見しました。
by hiro78 (2008-09-29 15:10) 

Tripleseven

え~と、掩体壕の話から逸れるのですが、30数年前の高知空港の航空写真がありますね。
空港周囲の田畑だけが滑走路の方向にそって作られているのが面白いですね。
昔から32エンドは至近距離から着陸する飛行機が見られる場所だったんです。
ただし、空港に気軽に行けるようになったのはジェット化以降ですので当時を知りません。

さて、60万pvのところで少し話に出した高知空港の特徴ですが、気づいたでしょうか?
じつは「道路」です。
空港外周のフェンスのすぐ外側にこれだけ道路が整備されている空港ってまれではないかと思います。
32エンドの道路はおそらく工事用車両用の道路の名残です。
滑走路南西側の道路は拡張によって潰された農道の代替として整備された道路です。
14エンドからターミナルまでは空港へのアクセス道路です。
32エンド付近の物部川堤防は防災のためのものです。
それらが全てヒコーキを見るのに良い条件になっているというのが、高知の特徴だと思います。
by Tripleseven (2008-09-29 22:46) 

とり

■OILMANさん こんにちは。
んー。確かにそうかもしれませんね~。

■カンクリさん
nice! ありがとうございます。

■月夜さん
nice! ありがとうございます。

■hiro78さん
どうもありがとうございました^^

■Triplesevenさん
またまた地元ならではの情報、ありがとうございました~ヽ(*´ヮ`)ノ
by とり (2008-10-01 19:57) 

とり

SpeedBirdさん
nice! ありがとうございます。
by とり (2008-10-04 07:40) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0