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上本部(本部、上本部補助、桃原)飛行場跡地 [├空港]

 2008年4月 訪問 

本島から本部半島切り出し.PNG

まず上本部飛行場跡地の位置関係です。

上の地図、赤枠の部分が本部半島です。

 

本部半島から飛行場周辺切り出し.PNG

本部半島。

更に左上の赤枠を拡大します。 

 

3.PNG

美ら海水族館がありますね。

この部分をグーグルアースで見ると・・・ 

 

グーグル切り出し.PNG

こうなります。

赤枠の部分が米軍上本部飛行場の滑走路跡です。 

 

5.PNG

滑走路跡の拡大図。

 

滑走路入れた.PNG

大体こんな感じで滑走路がのびていたと思います。

沖縄戦前後の写真と見比べながらおおよそで線を引いてますので、

ズレてるかもしれません。特に両端が。

当時の写真を見ると、この滑走路の南側にずらりと駐機場が並んでました。 

 

毎年大勢の観光客が美ら海水族館を訪れるわけですが、

まさかこんなすぐ側に米軍の滑走路跡が残っているとは思わないですよね。

オイラも前回来た時にはまったく知りませんでした。

で、滑走路周辺をうろうろしてみました。

 

全体図.PNG

(全体図)

 

D20_0040.jpg

(A地点)

まずは少しだけ滑走路面が残っているA地点。 

時々小雨が降る中だったので、こんな暗い写真になっちまいました。

周囲一帯緑や畑なのですが、ここだけパカッと開けてました。

グーグルアースの定規で測ったところ、

滑走路面は最大幅24m、最大長さ107m残っていました。

 

D20_0046.jpg

 (A地点)

ボロボロに荒れた表面。

草も生えていて、一部土と化しているようです。 

 

D20_0043.jpg

(A地点)

D20_0049.jpg

(B地点)

B地点に移動しました。

こちらは滑走路跡が大きく残っています。

一部くびれていますが、おおよそ610m×50mほど残っていました。

この滑走路の長さは、資料によって

1,680m×54mだったり、1,500m×50mだったりするのですが、

幅に関してはほとんど当時のまま残っていることになりますね。

滑走路を横断する道路は普通に車で通れます。

 

D20_0050.jpg

(C地点)

現存する滑走路面の西側終点部分。 

 

D20_0056.jpg

(C地点)

その終点部分の反対側。

この先にも滑走路が続いていたと思うのですが。

 

D20_0063.jpg

(D地点)

滑走路東側部分はほとんど畑になっています。

それでも何かないかと、車で通れる道は全部走ってみたのですが、

特に何も発見できませんでした。

そして、たまたま通りかかったのがこの小学校前。

明かに滑走路の延長軸からは外れているのですが、

周囲とは異質な雰囲気で、

路面の材質、浸食具合、道路の伸びる方向が滑走路とよく似ている気がします。

当時の写真と見比べると、この周辺も基地の敷地内だったようです。

 

本部全体.JPG
写真:「国土画像情報(オルソ化空中写真) 国土交通省」
撮影年度:1977年 地区名:仲宗根 編集・加工:「空港探索・とり」

1977年当時の上本部飛行場跡地 

 

上本部飛行場跡地 map   


        国頭郡・上本部飛行場跡地     

上本部飛行場(本部飛行場、上本部補助飛行場、桃原飛行場)データ
設置管理者:米軍(現在は防衛省自衛隊施設)
種 別:本土攻撃時の偵察機用飛行場
所在地:沖縄県国頭郡本部町字北里
座 標:N26°41′09″E127°53′24″
標 高:40m
面 積:743,000㎡
滑走路:1,680mx54m(1,500mx50mという資料もあり)
磁方位:05/23
*座標、磁方位はグーグルアースで算出

沿革
1945年 04月 米軍、本部半島を占領
      06月 住民を強制退去させ、本土攻撃時の偵察機用飛行場を建設
1947年 この頃飛行場拡張整備実施
      物資、弾薬集積、海兵隊のヘリや戦車の演習地としても使用されるように
1969年 06月 一部返還
1971年 06月 全面返還
1972年 05月 沖縄、本土復帰
      土地の返還が復帰だったため、 軍転特措法の適応外(現状復帰の義務を負わない)となる
      農地への復元費用として返還当時、町が6億4000万円余を米軍に要求したが、
      実際に補償費として支払われたのは、800万円余りだった
      (滑走路の下には基礎として厚さ10mのサンゴが敷かれており、復元には莫大な費用がかかるらしい)
      有効な跡地利用の手立てがないまま、現在に至る
1987年 02月 P3C対潜水艦作戦センター送信所の建設計画
      シーレーン(海上交通路)防衛計画の一環として、旧上本部飛行場跡地に自衛隊のP3C対潜水艦作戦センター
      (ASWOC)送信所を建設しようという防衛庁(当時)の計画が発表される
      地元は降ってわいたような話に騒然となる。跡地前に闘争小屋を立て、当番制で毎日監視活動を続けた
      強制測量など万一の事態に備え、区民を招集する広報用スピーカーやサイレンも備え付ける等警戒態勢を敷く         施設局は何度か建設のための測量を行おうとしたが、地元民の根強い反対で計画は凍結状態になっている
2008年 07月 防衛省、P3C対潜水艦作戦センター送信所の建設中止

 

D20_0054.jpg

(C地点)

すっかり草に覆われている闘争小屋。

当時は赤地に白文字で、「P3C基地反対 命どぅ宝」という大きな看板が掲げられていました。 

オイラが調べた範囲では少なくとも4年間、毎日ここで監視を続けていたようです。

関連サイト:
歴史の中に消えつつある飛行場を探せ!    
国土地理院1946年当時の写真     


コメント(17)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

コメント 17

bon

もの悲しい写真です。
いまだに戦の跡が残されているとは・・・。


by bon (2008-04-28 10:46) 

tooshiba

戦後60年以上を経てなお癒えていない傷。

つい最近も、アメリカの軍人(偉いっぽい人)に「ジャップの思いやり予算は、国防コストとして考えたら、チョーお得なんだぜ?」と柔らかく恫喝されて、それにヘコヘコ甘んじている政治屋。
たとえ政権与党が変わったとしても、媚びる相手が変わる(オリンピックをするところと停戦中のところに)だけで、「大国(どこでしょうか?)とそれの属国の大国気取りの半島(どこでしょうか?!)の間に挟められて身動きが取れない」情勢には、代わりはないだろうと思いますが。
(とても絶望的な気分)

サンゴ。石灰ですよね。
今、必死で再生(養殖)とか、暑くなっても褐虫藻が生き残れる品種改良とかしているときに、陸に埋められたものがあったとは。
それらの有効利用は、できないんでしょうね。

豊島じゃありませんが、全部掘り返して農業が出来るように戻す。なんて復興事業にお金をかけるのなら、私個人は大いに支持しますが、期待も望みも薄いでしょうね。

まあ、私が言えることはアレです。
沖縄のジモティー(ウチナー)は尊敬に値するってことです。
イメージでは何でも笑って赦しているみたいだけれど、内に秘めたハートがね、熱そうですよね。
by tooshiba (2008-04-28 11:30) 

ジョルノ飛曹長

闘争小屋、成田にもありましたが今ではすっかり風化しつつあります。
ここのも使われなくなってからかなり時間がたっていますねー。
一応古戦場になるのかな(^_^;)
by ジョルノ飛曹長 (2008-04-28 13:08) 

masa

悲しくなるような写真ですね。
闘争小屋一見すると子供の秘密基地みたいですが
そんなかわいらしいものではないんですね・・・
by masa (2008-04-28 17:57) 

OILMAN

こんにちは。
戦争の爪痕ですね。
こういう場所は一日でも早く忘れられるような方向で整備して欲しいですね。

by OILMAN (2008-04-28 21:55) 

kenjii

ここ、行ったことあるかも
もう忘れていたけど・・・
by kenjii (2008-04-29 02:08) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■bonさん
小雨交じりの時に撮ったせいで、余計に悲しく見えてますね。

■tooshibaさん
確かにtooshibaさん仰るように、お上が長いものには巻かれろで強い相手の顔色を窺っている内は、弱い者の小さな声に十分な配慮が示されることはありますまい。

■ジョルノ飛曹長殿
「地元の反対で計画は凍結」だそうです。
>古戦場
ある意味そうですね。

■hiro78さん
nice! ありがとうございます。

■ハイマンさん
nice! ありがとうございます。

■こいしさん
nice! ありがとうございます。

■夢空さん
nice! ありがとうございます。

■masaさん
>子供の秘密基地
確かにそんな感じですね。
こういうものは普通、子供たちの格好の遊具になりますが、
地元の子供たちの目にはどう映っているのでしょうか。

■赤と青さん
nice! ありがとうございます。

■xml_xslさん
nice! ありがとうございます。

■カンクリさん
nice! ありがとうございます。

■OILMANさん
一大リゾート地にするというプランもあるようですが、地元の反応は必ずしもよくないようです。地元の方の意思を無視して使われた土地ですから、地元の方が望むのは何だろうというところから整備が進んでいって欲しいです。

■そらまめさん
nice! ありがとうございます。

■月夜さん
nice! ありがとうございます。

■こけもも:さん
nice! ありがとうございます。

■miffyさん
nice! ありがとうございます。

■kenjiiさん
おお、そうですか。
ここだったんでしょうか。。。
by とり (2008-04-29 08:02) 

くず

予告通りの「濃いィ記事」でした ( ̄ー ̄)ニヤリ
by くず (2008-04-29 13:33) 

野原橋

地元住民の望むものとは、いったいどんなものなのでしょうか?
あまりに根が深すぎて、事情をよく知らない私には全く見当もつきません。
この跡地は、見た目以上に痛々しいもののようです。
by 野原橋 (2008-04-30 01:08) 

とり

■Krauseさん
nice! ありがとうございます。

■くずさん
引きましたか?(o ̄∇ ̄o)ニヤ

■ぴーすけ君さん
nice! ありがとうございます。

■an-kazuさん
nice! ありがとうございます。

■野原橋さん
>望むもの
オイラも分かりません。
戻ってくる土地は、地主に戻るか、国の管理になるかでも選択肢が異なります。次の記事でも少し書きましたが、同じ地域でも望むものは十人十色だと思います。
by とり (2008-04-30 06:19) 

sak

闘争小屋...
胸が締め付けられました...。
by sak (2008-04-30 07:45) 

とり

sakさん
地元の根強い反対の結果、現在は計画の凍結だそうです。
地元の方が望む形で土地が使われて欲しいです。
by とり (2008-05-01 07:45) 

とり

おすぷれい26さん
nice! ありがとうございます。
by とり (2008-05-03 09:15) 

くず

いや、引きませんよ (^^)b
むしろ感心すらしています。
地図、画像、解説と、ここの事を知りたいと思っている方にとって、こういう記事は凄くありがたいものになるはずです。
分野は違いますが、オイラも巡礼者の端くれ、詳しい情報を入手したくて、多数の過去巡礼記に目を通しました。
とりさんのこういった記事も、きっと誰かの助けになっていると思います。
オイラもいつの日か、こういう人の役に立つ記事が書けたらいいなー… と憧れます。

by くず (2008-05-06 11:48) 

とり

くずさん
くずさんの巡礼記事は、少なくともくずさんのブログの常連さんの中では既に十分役に立ってますって!
オイラ、木崎湖のきの字もしりませんでしたから^^
「こんなステキな場所があるんだ~」と知ることが出来たのは、くずさんのおかげですよ^^)/
by とり (2008-05-06 14:50) 

コスト

今回は一風変わってて、戦争や時代を感じる記事ですね。
跡地利用されてないのは、政治的に復帰前とか米軍が払わなかったから今の状態になってたんですね。
そしてその後の4年間もの監視って、う~ん。
確かに農地は、数減らしても使っていかないと荒れて使えなくなると聞いたことがありますし、基地利用していた場合だと農地に使うには土壌汚染の調査も必要なんで、簡単にはいかないですよね。
しかし、とりさんはこういう場所をよく見つけますね~^^
by コスト (2008-05-07 23:43) 

とり

■コストさん
>4年間もの監視
厳しい寒さはないですが、アノ夏の炎天下、毎日監視し続けたことを考えると、我々部外者には想像もつかないような思いがあるんでしょうね。

■鉄道美術館館長♪さん
nice! ありがとうございます。

■Qooさん
nice! ありがとうございます。
by とり (2008-05-10 10:47) 

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