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大西(館林エアロ、旧陸軍館林)飛行場・運用当時 [├空港]

   2003年12月 訪問 

2014/5/16追記:通りがかりさんから情報頂き、全面改訂致しました。通りがかりさんありがとうございましたm(_ _)m 

関連記事:廃止後の大西飛行場
       大西飛行場のその後

ここは日本で唯一、滑走路に道路が横切っているために踏切がある珍しい飛行場です。

 

踏み切りに近づいてみました。

 

遮断機のアップ

 

世にも珍しい「飛行機注意」という標識

 

踏み切り内に入ってみました。

 

滑走路の真ん中で写真撮影。そういえば滑走路内に歩いて入ったのは初めて。

 

滑走路の反対側も撮ってみました。

 

オイラが居た1時間程の間に入れ替わり立ち代りいろんな人がやって来て、

しみじみと滑走路を眺めたり、写真を撮ったりしてました 。

 

急にセスナが離陸を始め、慌てて撮影。こんな写真になっちまいました。

結局オイラがいた1時間の間に見ることができたのはこの1機だけ。

まあ実際に飛んでくところを見れただけよかったです。この手の飛行場はタイミングが悪いと、

待っても待っても待っても待っても待っても(×あと100回)

飛ばないですからね。踏み切りの内側に車が見えますが、事務所からやって来て遮断機の操作をしてました。

遠隔操作じゃないんですね。安全確認を兼ねてたんでしょうかね。

下記沿革にまとめましたが、当大西飛行場は元々陸軍の飛行場として使用が始まりました。

戦後20年近い空白期間を経て大西氏が再び飛行場として蘇らせましたが、

約40年間続いた第二幕も今回ついに下りてしまいました。

またいつの日かここから飛行機が飛び立つ日がくるでしょうか。

 

大西af全体.JPG

大西af拡大.JPG
「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」 整理番号CKT-74-18
撮影年度 昭和49年度 地区名 前橋 撮影コースC62  編集・加工 空港探索とり(2枚とも)

上の写真は2枚とも1974年当時の大西飛行場です。

2枚目の写真に滑走路が映っていて、南側に並行して走る黒い線がありますが、

大西飛行場発足当初はこちらが元祖滑走路でした。

また、新滑走路北側に誘導路が伸び、ヒコーキが駐機しているのが写っており、

写真右下にも赤白の格納庫?があり、その前に新滑走路から誘導路が伸びていますが、

発足当時の写真を見ると、元々はこの南側だけが駐機場等飛行場敷地だったようです。

いつから滑走路の切り替えがなされたのか不明なのですが、年代ごとに写真で見てみると、

1969年 旧滑走路のみ
1973年 新滑走路出現
1975年 旧滑走路にXマーク

という感じでした。

2014年5月現在のグーグルマップで滑走路跡を見てみると、未だ新旧滑走路の東側部分が残っており、

仲良く並んでいるのをかろうじて確認することができます。

 

大西飛行場:map  


         群馬県・大西飛行場(運用当時)           

    ビュー:☆☆☆★★  

ここは定期便がないので、利用客でなければ建物に寄り付くのはちょっと勇気が要る
周囲は工場地帯で、意外と滑走路を見ることのできる場所は少ない。踏み切り周辺からの眺めは非常に良い

 

    施設:☆★★★★  

・・・ちょっと近づけませんでした(汗

 

    マニア度:☆☆☆☆☆  

やっぱり日本で唯一の踏み切り。一個人が空への夢を捨てずに作ったという心意気も○

 

    総合:☆☆☆☆★  

ネットでいろいろ調べていたら、若かりし頃の大西さんの写真が出てきた。自作の飛行機に乗って子供のような満面の笑顔だった

 

大西飛行場(館林飛行場)データ(運用当時))
設置管理者:(1964~1972)大西勇一 
        (1972~?)㈱大洋航空?
*1972以降の管理者について:
資料によってまちまちなのですが、廃止を伝える地元紙に、
「飛行場を所有する大洋航空」、「施設を利用している新中央航空」という表現がありました
空港種別:非公共用飛行場
運用時間:9:00~17:00(または日没まで)
所在地:群馬県館林市近藤町760 
標 点:N36°13′57″E139°29′35″
標 高:65m
滑走路:600m×25m
磁方位:08/26
航空管制周波数 129.9
*陸軍館林飛行場時代は1,400mx1,400m四方(196ha)の敷地だったそうです。

沿革
1936年 群馬県館林市と邑楽町にまたがる農地を陸軍の飛行場として用地買収
1937年 陸軍館林飛行場完成。熊谷陸軍飛行学校館林分教場開設
1944年 陸軍航空士官学校 館林分教場として使用開始
1945年 2、3月 頻繁に爆撃を受け、士官学校本隊は満州へ移転。戦争末期に本土決戦用の特攻隊訓練基地となる
      終戦と共に12人が進駐。小蓋(こぶた)基地となる
1946年 9月 基地閉鎖。その後引揚者の入植地として開放される
1962年 跡地の一部を大西氏が買い取り飛行場を建設
1972年 借金が膨らみ、土地、経営権の一切を売却。「大西飛行場」の名前はそのまま残され、運用が続けられる
2003年 12月供用停止

関連サイト:
Wikipedia/大西飛行場   
国土地理院 1947年11月当時の写真(USA R465-No1 178) (陸軍当時の面影が残る写真)
国土地理院 1964年5月当時の写真(MKT649X C2 12) (大西飛行場当時の写真)
国土地理院 1975年1月当時の写真(CKT7418 C62 18) (新滑走路出現)  
(「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック)  

この記事の資料:
群馬の戦争遺跡


コメント(14)  トラックバック(0) 
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コメント 14

ばう

この飛行場の話は以前、聞けましたよねー。あらためて写真で見てみると
感じが違いますね。何でもそうですけど「無くなる」という事は「重い」ですね。
写真や録音、とにかく記録できるものにしまって置かないとそこで「途切れて」
しまいますからねー。
by ばう (2005-05-23 18:05) 

とり

コメントありがとうございますー。 「無くなるという事は重い」 確かにそうですね。しみじみ。大西飛行場廃止の際,八十歳になる大西さんがコメントを残しています。「寂しい気はするが,自分の夢は果たせた。悔いはない。」
by とり (2005-05-23 22:02) 

mierin

私は66歳、女性、館林市で「向井千秋子ども科学館」で解説ボランティアをしています。
大西飛行場は、館林の自慢でしたので閉鎖はとても残念です。
4月18日に大西さんから「スバルプレン」を当館に寄贈していただきました。
科学館の2階ですばらしい姿を展示しています。
私達ボランティアは、今、この説明の学習中でこのHPは大変参考になりました。掲載されている写真がすばらしいので、私の説明の参考にコピーさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか。
先日、わたしの息子(ちゅう)もコメントを書いたと思いますが、6月4日に大西さんが科学館で解説します。
是非ご都合をつけておいでください。
by mierin (2006-05-19 18:09) 

とり

mierinさん いらっしゃいませ~ヽ(*´ヮ`)ノ
返事が遅くなってしまい、申し訳ございません。
ちゅうさんのお母様でしたか!びっくりしました。
この写真のコピーとのことですが、どうぞどうぞ!
つたない写真ですが、これでよければ是非御利用くださいませ。
(もしアドレスを教えて頂ければ、未掲載分も含めてデータをお送りしますので、必要でしたらこちらのコメント欄にお知らせください)

6月4日はお邪魔する予定しておりますのでどうぞ宜しくお願い致します。
by とり (2006-05-20 17:59) 

mierin

早速お返事を頂いてありがとうございました。
今日午後から、科学館で私達ボランティアに大西さんから、飛行機の解説指導をしていただき、HPで予習をさせていただいたのでよく理解できました。
ブログで大西さんのフアンのかたを知り、6月4日をご紹介したことを話しておきました。息子共々お待ちしております。私はボランティア友の会の書記長をしております。アドレスはお目にかかったときにお渡しすることにします。
by mierin (2006-05-20 23:24) 

とり

IsPhotoさん
nice! ありがとうございます。
by とり (2008-02-19 21:48) 

IsPhoto

実は閉鎖の1ヶ月前位でしたか、友人の飛行機に乗せてもらってここを訪れました。着陸料を払いに事務所に行ったら、事務のおねえさんが、コーヒーを入れてくれました。^^
およそ30分ほどの滞在でしたが、なんだかほんわかしたところでしたね。
とりさんが写真を撮っていらっしゃる遮断機ですが、帰る時、RWYの西エンドへTAXI DOWN中、遮断機の前でこちらが離陸するまで待たされている小学生のみなさんが、元気に手を振ってくれました。こっちもいっぱい手を振りました。
以下の写真は、この時大西飛行場からの帰りに撮影したものです。
http://pht.so-net.ne.jp/photo/isphoto/images/126223
by IsPhoto (2008-02-22 00:47) 

とり

IsPhotoさん
貴重な経験ですね。
今からじゃ、もう無理ですからね。
ソネフォトの美しい写真も堪能させて頂きました。
ありがとうございました^^
by とり (2008-02-23 09:24) 

ハルバン

今頃の記入ですが、新中央航空の時代は「館林飛行場」の名称も使われていたと思います。利根川河川敷に降りるパラシュートジャンプ大会で搭乗飛行場になっていたのを思い出します。ターミナルの中でANAのジャンパーを売っていたりして結構気軽に入れた記憶があります。飛行場としては滑走路の方角が悪く(この地は北西の風の時期が長いのです)、訓練飛行で飛んできた友人は横風で頭ぶつけそうになるくらいだったと言ってました。いま建物はただの廃墟状態で寂しいですね、滑走路を横切る道は通れなくなって遠回りを強いられています。
by ハルバン (2010-05-25 19:28) 

とり

■ハルバンさん
レス遅れてしまい申し訳ありませんm(_ _)m
>「館林飛行場」
陸軍時代の地元名称も使用されていたのですね。
>ANAのジャンパー
結構開かれた飛行場だったのですね。
いろいろと当時のこと含めて貴重な情報ありがとうございました^^
by とり (2010-05-28 18:42) 

通りすがり

お早うございます。
東武鉄道の本を読んだ時「小蓋基地」という場所が何度か出
てきたのでどこなのだろうと思っていましたがどうも
館林飛行場が進駐軍に接収された後の名称のようです。
大西飛行場は1度しか行ったことがありませんが無くなるとは知らず
写真はあまり撮りませんでした。
タワーが規模に比べて立派だった印象があります。
その時はパラシュート降下をやっていましたがホンダと比べると
こんなに狭くて大丈夫かなと思いました。
無くなった事がとても残念です。

by 通りすがり (2014-05-15 09:56) 

とり

■通りすがりさん
おはようございます。
小蓋基地は初耳で少し調べてみたのですが、確かに仰る通り当飛行場のことみたいですね。
ここからいろいろと知らなかった情報を得ることが出来ました。
運用当時足を運ばれたのですね。確かにホンダエアポートと比べると狭いですよね。
後日記事修正致します。いつもありがとうございますm(_ _)m

ところで通りすがりさんにお願いがあるのですが。。。
拙ブログには時々、「初めてブログ見に来たけど、このコメントだけ書いたら多分もう来ません」
という文字通りの「通りすがり」さんがコメント寄せて下さいます。
コメント内容からおおよその見分けはつくのですが、
いつも貴重な情報を頂いている通りすがりさんにはもし出来ましたら、何かハンドルネームを
決めて頂けるとブログの性格上非常に助かるのですが、如何でしょうか?
by とり (2014-05-16 06:07) 

元 通りすがり

おっしゃる通りです。
とても興味深い労作でしたのでつい長居をしてしまいました。
これまでこのブログを知らなかったことが残念です。
今後は「アギラ」でお邪魔させて頂きたいと思いますので
ご指導宜しくお願い致します。

by 元 通りすがり (2014-05-16 09:19) 

とり

■アギラさん
早速ありがとうございます。
こちらこそ今後ともどうぞ宜しくお願い致しますm(_ _)m
by とり (2014-05-18 04:47) 

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